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2017年7月25日火曜日

7月23日、浸潤の譖(そしり)、膚受の愬(うったえ)、行なわれざる、明と謂うべきのみ

 今日は7月23日、日曜日です。

 今日の論語一日一章は、論語巻第六顔淵第十二章第6章です。
 子張問明、子曰、浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂遠明也已矣、浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂遠也已矣、
 子张问明、子曰、浸润之谮、肤受之愬、不行焉、可谓远明也已矣、浸润之谮、肤受之愬、不行焉、可谓远也已矣、
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 子張、明を問う。子曰わく、浸潤の譖、膚受の愬、行なわれざる、明と謂うべきのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行なわれざる、遠しと謂うべきのみ。
 子張が聡明ということをたずねた。孔子はいわれた、「しみこむような悪口や、肌身に受けるような訴えが通用しないようなら、聡明といってよいだろう。しみこむような悪口や、肌身に受けるよう訴えが通用しないようなら、見とおしがきくといってよいだろう。」と。

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