今日は3月10日、土曜日です。今日は原水禁県民会議の総会の日です。
論語巻第七子路第十三篇20章はこう読み下します。
子貢問うて曰わく、「何如なる斯れ之を士と謂うべき。」子曰わく、「己を行うて恥あり、四方に使ひして君命を辱めざる、士と謂ふべし。」曰わく、「敢へて其の次を問ふ。」曰わく、「宗族孝と称し、郷党弟と称す。」曰わく、「敢えて抑亦以て次ぎと為すべし。」曰わく、「言必ず信、行ひ必ず果、硜硜然として小人なるかな。抑亦以て次と為すべし。」曰わく、「今の政に従ふ者は何如。」子曰わく、「噫、斗筲の人、何ぞ算ふるに足らんや。」
ここで、士の第1は、孔子は「己の身を行うに廉恥心があって、不仁不知非礼悲義の事を恥じて行わず、本国を出でて四方の諸侯に使いに行った時は、一言一行皆我が国威を挙げ、君から命ぜられた任務を辱しめないならば、その志は悪を行わず、その材は事を為すに足る者であるから、士と称しても愧しくない」といいます。
士の第2は、「親族の者が孝だと称美し、一郷の人が弟だと称美するような人ならば、才は足りないけれども、人の行いの本が立っているから士の次としてよろしい。」と孔子はいう。
孝弟の次の士は、「言うことは道理に当っても当らなくても必ずこれを守って信実であろうとし、行うことは善くても悪くても必ず行い遂げようとするのは、小石のように小節に固まって変通を知らない識量の小さな人物である。しかし自ら守る所の堅い人であってまあ孝弟の士に次いで士と称することのできる者である。」と孔子はいった。
当時、政に従事している人は士といえるのかと聞かれ、「ああ、あの人たちは斗筲のように心の受け容れる所の少ない何のとりえもない人で、どうして士の中に数えることができようか。」と孔子はいっている。

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