今日は1月23日、火曜日です。今日から吹雪がつづいて大雪になる天気予報です。昨夜は蓮心寺からもどり、夕食の後、急に眠くなりました。朝早く起きようと、10時前に眠りましたが、先週の疲れが出たようで、8時前に電話で起こされるまで眠ってしまいました。昨日のOBGの総会で講演をお願いした金澤先生が足を捻挫されたようで心配です。早く良くなってほしいと祈るばかりです。講演会も総会もその後の懇親会も無事終えることができました。そんなわけで今日は、朝に日課をやってから出かけることにします。
今日の論語一日一章は、論語巻第九微子第十八篇第7章です。
子路從而後、遇丈人以杖荷蓧、子路問曰、子見夫子乎、丈人曰、四體不勤、五穀不分、孰爲夫子、植其杖而芸、子路拱而立、止子路宿、殺雞爲黍而食之、見其二子焉、明日子路行以告、子曰、隱者也、使子路反見之、至則行矣、子路曰、不仕無義、長幼之節、不可廃也、君臣之義、如之何其可廢也、欲潔其身而亂大倫、君子之仕也、行其義也、道之不行也、已知之矣、
子路从而后、遇丈人以杖荷蓧、子路问曰、子见夫子乎、丈人曰、四体不勤、五谷不分、孰为夫子、植其杖而芸、子路拱而立、止子路宿、杀鸡为黍而食之、见其二子焉、明日子路行以告、子曰、隐者也、使子路反见之、至则行矣、子路曰、不仕无义、长幼之节、不可廃也、君臣之义、如之何其可废也、欲洁其身而乱大伦、君子之仕也、行其义也、道之不行也、已知之矣、
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子路従いて後れたり。丈人の杖を以て蓧を荷なうに遇う。子路問いて曰わく、子、夫子を見るか。丈人の曰わく、四体勤めず、五穀分かたず、孰をか夫子と為さん。其の杖を植てて芸る。子路拱して立つ。子路を止めて宿せしめ、鶏を殺し黍を為りてこれに食らわしめ、其の二子を見えしむ。明日、子路行きて以て告す。子曰わく、隠者なり。子路をして反りてこれを見しむ。至れば則ち行る。子路が曰わく、仕えざれば義なし。長幼の節は廃すべけんや。其の身を潔くせんと欲して大倫を乱る。君子の仕うるや、其の義を行なわんとなり。道の行なわれざるや、すでにこれを知れり。
子路がお供をしていて遅れたとき、杖で竹籠を荷なった老人に出あった。子路がたずねて、「あなた、うちの先生を見ましたか。」というと、老人は「手足も働かさず、五穀を作らないでいて、だれのことを先生というのだ。」といって、その杖をつき立てると草取りをはじめた。子路が(ただ者でないとさとって敬意を表わし)両手を胸に組み合わせて立っているご、(やがて)子路をひきとめて泊らせ、鷄を殺して黍めしをこしらえて食べさせ、その二人の子供をひきあわせた。翌日、子路が(先生に)追いついてそのことを申しあげると、先生は「隠者だ。」といわれて、子路にひき返してもう一度会わせようとされたが、行ってみるとたち去っていた。子路は(留守の子供に向かって)いった、「仕えなければ(君臣の)大義は無いが、長幼の折りめは捨てられない。(昨日、あなたがたをひきあわせて下さったことでも分かる。してみると、)君臣の大義もどうしてまあ捨てられよう。(それを捨てているのは)わが身を清くしようとして人としての大切な道を乱しているのだ。君子が仕えるというのは、その大義を行なうのである。(今の世の中に)道が行われないというのは、とっくに分かっている。」

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