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2017年7月18日火曜日

7月17日、吾が一日も爾より長じたるを以て、吾れを以てすること無かれ

 今日は7月17日、月曜日ですが、海の日で、国民の祝日です。今日は一日休養日です。あさから、やり残した日課の論語一日一章をやっています。

 今日の論語一日一章は、論語巻第六先進第十一篇第26章です。この章で先進篇は終わりです。とにかく長文です。
 子路會皙冉有公西華,侍坐,子曰,以吾一日长乎爾,无吾以也,居则曰,不吾知也,如或知爾则何以哉,子路率爾而对曰,千乘之国,欇乎大国之閒,加之以师旅,因之以饥谨,由也为之,比及三年,可使有勇且知方也,夫子晒之,求爾何如,对曰,方六七十,如五六十,求也为之,比及三年,可使足民也,如其礼乐,以俟君子,赤爾何如,对曰,非曰能之也,願学焉, 宗廟之事,如會同,端章甫, 願为小相焉,點爾何如,鼓瑟希,铿爾舍瑟而作,对曰,异乎三子者之撰,子曰,何伤乎,亦各言其志也,曰,莫春者春服既成,得冠者五六人童子六七人,浴乎沂,风乎舞雩,詠而归,夫子喟然歎曰,吾与點也,三子者出,會皙后,會皙曰,夫三子者之言何如,子曰,亦各言其志也已矣,曰,夫子何晒由也,子曰,为国以礼,其言不让,是故晒之,唯求则非邦也与,安见方六七十如五六十而非邦也与者,唯赤则非邦也与,宗廟之事如會同非諸侯如之何,赤也为之小相,孰能为之大相,
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 子路・會晳・冉有・公西華、侍坐す。子曰わく、吾が一日も爾より長じたるを以て、吾れを以てすること無かれ。居れば則ち曰わく、吾れを知らずと。如し爾を知るもの或らば、則ち何を以てせんや。子路率爾として対えて曰わく、千乗の国、大国の間に摂して、これに加うるに、師旅を以てし、これに因るに飢饉を以てせんに、由やこれを為め、三年に及ぶ比に、勇ありて且つ方を知らしむべきなり。夫子これを哂う。求よ爾は何如。対えて曰わく、方の六七十、如しくは五六十、求やこれを為め、三年に及ぶ比に、民を足らしむべきなり。其の礼楽の如きは、以て君子に俟たん。赤よ爾は何如。対えて曰わく、これを能くすと曰うには非ず。願わくは学ばん。宗廟の事、如しくは会同に、端章甫して願わくは小相たらん。点よ爾は何如。瑟を鼓くことを希み、鏗爾として瑟を舎きて作ち、対えて曰わく、三子者の撰に異なり。子曰わく、何ぞ傷まんや、亦た各々其の志しを言うなり。曰わく、莫春には春服既に成り、冠者五六人・童子六七人を得て、沂に浴し、舞雩に風して、詠じて帰らん。夫子喟然として歎じて曰わく、吾れは点に与せん。三子者出ず。會晳後れたり。會晳が曰わく、夫の三子者の言は何如。子曰わく、亦た各々其の志しを言うのみ。曰わく、夫子、何ぞ由を哂うや。曰わく、国を為むるには礼を以てす。其の言譲らず。是の故にこれを哂う。求と唯ども則ち邦に非ずや。安んぞ方六七十如しくは五六十にして邦に非ざる者を見ん。赤と唯ども則ち邦に非ずや、宗廟・会同は諸侯に非ずしてこれを何如。赤やこれが小相たらば、孰か能くこれが大相たらん。
 子路と會晳と冉有と公西華とがそばにいた。孔子がいわれた、「わたしがお前たちより少し年上だからといって、遠慮をするな。ふだんいつもは『わたし(の真価)を知ってくれない。』といっているが、もしだれかお前たちのことを知って(用いて)くれたとしたら、どうするかな。)子路がいきなりお答えしていった、「兵車千台を出すていどの国が(万台を出すような)大国の間にはさまり、さらに戦争が起こり飢饉が重なるというばあい、由(このわたくし)がそれを治めれば、三年もたったころには(その国民を)勇気があって道をわきまえるようにさせることができます。」孔子はその言葉に笑われた。「求、お前はどうだね。」答えていった、「六、七十里か五、六十里四方の(小さい)ところで求が治めれば、三年もたったころには人民を豊かにならせることができます。礼楽などのことは、それは君子にたのみます。」「赤、お前はどうだね。」お答えしていった、「できるというのではありません、学びたいのです。宗廟のおつとめや諸侯の会合のとき、端の服をきて章甫の冠をつけ、いささかの助け役になりたいのものです。」
 「点、お前はどうだね。」瑟をひいていたのがとまると、カタリとそれをおいて立ち上がり、答えていった、「三人のような立派なのと違いますが。」孔子が、「気にすることはない。ただそれぞれに抱負をのべるだけだ。」といわれると、「春の終わりごろ、春着もすっかり整うと、五、六人の青年と六、七人の少年をともなって、沂水でやあみをし、雨乞いに舞う台地のあたりで涼みをして、歌いながら帰って参りましょう。」といった。孔子はああと感嘆すると、「わたしは点に賛成するよ。」といわれた。三人が退出して、會晳があとに残った。會晳はおたずねした、「あの三人のことばはどうなのでしょうか。」孔子はいわれた、「ただそれぞれに抱負を述べただけのことだよ。」「先生はなぜ由のことを笑われたのでしょう。」「国を治めるには礼によるべきだが、そのことばはぶしつけ(で礼をわきまえないよう)だ。そのためにわらったのだ。求のばあいでもやはり邦ではないか。宗廟や会合が諸侯のことでないとすればどういうことになろう。(ひとしく国家のことだが、この二人のつつましさが由とは違う。)六、七十里か五、六十里四方で邦でないものがどうしてあろう。赤のばあいでもやはり邦ではないか。宗廟や会合が諸侯のことでないとすればどういうことになろう。(ひとしく国家のことだげ、この二人のつつましさが由とは違う。)赤がいささかの助け役になるのなら、だれが大きな役になれようか。」と。

 

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