4日にM市議と会合のあと二人で川よしへ行った。途中加わった川よしの店主と又市征治さんのこと、佐高信さんのことを話した。元自治労県委員長の故加藤則明氏と高校同級生の主人は商売柄大きな声では言えないが、と断ったうえで、「昔のように社民党(旧社会)党さんには強くなってほしい」と語った。それから、「佐高塾には是非受講したい」とも語って、社民党代表のM市議を喜ばせた。又市さんは12年前、自治労富山の委員長から参議院議員に出た。そのとき選挙区から出たのが川柳作家の北野岸柳先輩だった。そのとき何度か利用した縁で、又市さんと川よしの主人は懇意になったのだ。さっぱりした性格と歯切れのよい話しっぷりが気に入ったという。
N元県議、M市議、E市議、そしてH市議たちは、何のために政治家になろうとしたのか。何をしたくて、何を実現したくて、県議に、市議になろうとし、なって何をやったのか。有権者の市民に説き、問いかけ、それが有権者から共感を得られたという実感が果たしてあるのだろうか。それがあるとすれば、そのことに対する責任はどうなのか。
そんなことを考えながら、夜の街に出て、サッカーのことなど全く気にもかけず、綺羅に寄り、とり平が終わっていたので、鶴亀食堂でラーメンを食べて、自転車を漕いでいつものコースで家まで帰った。
5日は市議会の一般質問の初日。1時から3市ペンクラブ交流会の実行委員会の打ち合わせで北の街社へ。鶴賀女史、齊藤さんと日程、10月13日午後2時から、場所アラスカ会館、内容は「寺山修司没後30周年記念講演会」として金澤弁護士(寺山修司と高校同期)と佐々木英明(寺山を師とする詩人でカバの高校同級生)の二人を講師とする、4時半から懇親会とするなどの素案をきめ、調整に入ることとした。壬生氏がきたので、三人で英明宅訪問予定を7月8日月曜日とすることをきめた。
北の街社のあとは、薬剤師会館の阿木邑編集長のところへ「ねぶた師平蔵」の校正を届けに行きました。二校もお願いしたところ、初校もファイルでもらいたいと言われ、青柳の又市選対へ行ってパソコンを借り、そこから初校の原稿ファイルを編集長へ送信した。選対にいた山菜料理研究会のY代表から入会記念だと蕗と蕨の一本漬けをいただく。
市議会に傍聴に行く時間が過ぎたが、6時からの「遙さよならパーティ慰労会」までの時間、議会によることにした。S議員の一般質問中であった。環境問題についての答弁が長すぎて、質問時間を浪費して、再質問でつっこんだ議論ができずに終わった。最後のO議員が市長の応援団としてという風変わりな一般質問に驚いた。与野党の流動化の表れか。
いつになく10分前にカネ〆についた。金澤弁護士、幹事役の前田さんに、C女史、M女史、K女史にカバの6人であった。当日、受付、司会をした人だけの慰労会を兼ねた懇親会であった。ビール、樽酒、清酒をしこたま飲んだ。かなり酔っていたが、K女史と一緒に外に出て、自転車を漕ぐとすっきりするから不思議だ。カバ号に比べ、K女史の自転車は立派だ。彼女は颯爽と軽やかに先行し、宵闇に消えて行った。この夜は、とり平に寄って、いつも焼酎2杯、生野菜、ハツタレ焼きで帰った。
6日は労金友の会の総会だ。8時5分に家を出て、交番裏に自転車を停め、バスに乗った。美濃さんが先に乗車していて、隣の席に座った。馬門温泉ホテルでの総会には50名の参加だった。沢山の知人がいた。事務局のSさん、Hさん、それに支店長もいた。あとは、全逓OBのK、I、Nさんに全電通OBのSさん、市民病院OBのT女史とも再会できた。参加してよかったと思う。温泉にもつかり、サウナにも入ることができた。計量した体重は86.5Kgであった。宮本氏(浪岡町長46日の反乱がほしいとのこと)と大久保京子さん((長小6年7組でなく三甲会のメンバーだとのこと)から電話があった。
駅に着いたのが4時だった。自転車で事務所に戻り、宮本氏へ電話を入れ、本を取りに来るように促す。サイフォンでコーヒーを淹れ、中国語教室の予習ファイルを出力しました。45分に宮本氏がきたので、本を渡し、議会の傍聴に行きました。お目当てのE市議の一般質問はすでに終盤であと7分しかなかった。それでも宮本氏も一緒に議場に入ったが、答弁が終わり、簡単にE市議の質問は6分残して終わってしまった。そのあと、控室にE市議を訪ねた。H市議も含め、王味に行くことにした。5時15分であった。
結局、餃子と塩ラーメンを食べて、E市議の車で議会まで送ってもらって別れた時には、時間は6時45分すぎであった。中国語教室は止めて、まっすぐ綺羅へ寄った。店は混んでいた。元角弘のKさんから地方公務員感を訊く。青森に優良企業はなく、県庁・市役所が優良企業だと彼は言った。浦町小、野脇中、青森高校(4年先輩)、東北学院大学へ進み、就職したと自らの経歴を話すと同時に県信用につとめるカバと長小同期の煙草屋のS君と一緒に週に一度、パソコン教室に通っていることも話した。
8時に事務所に戻り、最近友だちになった中国蘇州の友人とQQで2時間話した。友人の日本語の矯正を頼まれたからだった。いずれ、蘇州に行く機会があればお世話になるかもしれない、と思って久しぶりの日本語教師の家庭教師のまねごとをした気分だった。
後片付けをして事務所を出たのが10時15分過ぎだった。そのあと、とり平がめずらしく看板の電気がついていたので、立ち寄って、家に帰ったのはちょうど11時だった。

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