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2013年5月12日日曜日

ふくろう観察会のあと勇気をもらう

 朝九時に事務所を出て、九時十五分に家に戻り、九時半に家を出て、五十五分に古村さんの家に着いた。古村さんは風邪とかで寝巻姿のままで、いつもと違い出発の準備は出来ていなかった。中へ通され、十時半に敏雄さんが迎えに来るので、コーヒーを飲もうということになった。
 三十分、とりとめのない世間話をした。そのなかで、三国谷君や高木君などカバの同期の友人について淡々とした評を聞いた。古村さんは市長選挙が終わってから、県議会へ向きあう闘争心がわかない、気力がでない、と弱弱しかったが、コーヒーを飲んでいるうちに気を取り直し、着替えを始めた。
 実は、4月30日の夜に、古村さんからの電話で、選挙に出る出ないで言い争ったこと、3日の夜にまた電話があり、「4日に浪岡に来たら」と言われて、4日に花岡荘へ出かけたものの、何も話す機会もなく、12日の「ふくろう観察会」の迎えに行く、と言っただけで、青森へ戻ってから、かれこれ一週間以上、何も連絡していなかった。
 また同じように、何事もないように、禅問答だけで、言わなくても理解せよと言うだけなのかも知れないと思った。敏雄さんが来て、古村さんの車で吉野田に向かった。木村信夫さんのりんご園の中にフクロウの巣箱があった。今年は4羽雛がかえったという。巣箱から50メートルほど離れた所にシートが敷かれ、そこに車座に座って25人ほどの男がすでに宴を始めていた。十時にフクロウの観察は終わり、宴を開いたようだ。区長、清泰さんもいた。昌彦さんも座っていた。鉄芳さんも隣に座っていた。みな穏やかな顔で、ビールを飲み、ホルモン焼きを食べていた。
 カバは区長の右隣、木村さんの左隣に座る。ノンアルコールをもらう。ここでも、とりとめのない話で終始した。鉄芳さんも来る。どこかぎこちない。古村さんがブログでカバのことを1日に暴露したことの影響だと思う。区長と清泰さんはひとこともふれることなく、微笑をたたえているだけだ。「馬鹿なことはやめろ」とでも言いたそうだった。「さもありなん」、と思った。
 畑には1時間しかいなかった。カバは敏雄さんの案内で、ふくろうの巣箱に近づいてみる。親ふくろうが巣箱から顔を出し、カバを睨み、監視している。襲われたらどうしようかと尻込みしていたら、敏雄さんが、「これくらい離れているなら正面からでも大丈夫」というので、正面に回って写真を二枚ほど撮る。カバが動くと、巣箱の窓からフクロウは首を回して、追いかける。あくまで警戒と監視しているのがわかる。初めて自然のフクロウを観て、もう十分だった。
 帰りの車で、古村さんは「遊びがなければならない」と意味不明なことを言った。「ただ真面目腐って正しいと自分で思うことを言って、ぶつかってばかりではだめだ」とも言った。そして、家に着いてから、「コーヒーを飲んでいかないか」と再度、家の中へ招じ入れた。
 居間で、古村さんは言った。「初恋のひとが死んだ」と。「落ちるのが怖かったら、選挙に出るべきではない」、初めて県議選に出て落選した時、感極まった友人が泣いた。其の時、選挙に出ると家族や周りの人に本当に迷惑をかけることを実感したという。兄の秀雄さんが、街の中を一軒一軒まわってくれたことを今でも本当に感謝していると。カバにはそんな肉親がいない。鹿内さんも、古村さんもあてにしないで、自分ひとりで、やれるかどうか、家族の理解が得られる、それがなければ当選はおぼつかない、そう言った。
 古村さんは政治をやる人は、学歴もあり知識のある人ほど、理性と知性が逆に邪魔して、政治の場で活きることはできないのだ、と悟ったということも話した。感情、熱情がなければ、政治ではやっていけない、という。最後に、出ると決めたら、落ちることを怖がらないで、自分は地域・故郷のために馬鹿になりきろう、その思いで熱く燃え尽きるまでやってみるべきだ、もう止めないし、自分のせいで取り止めたと言われたくない、そう語った。あとは、「カバの気持ちと、最初の選挙だけでもせめてカバの女房が事務所でお茶を出すくらいの協力ができるか、どうかにかかっている」と言って玄関先まで送ってくれた。「出ると決めたのなら、もう出ないとは言うな、あとは家族が納得するように、どう説得するかだけで、それための努力が最初の行動だ」と。「それができなければ、話にもならない」という古村さんの話が胸に残った。
 カバは、鹿内さんの後押しや、古村さんの応援をあてにせず、「青森をよくするために、捨て石になるつもりで、四年間でこれだけはやりたいということを一つだけでもとことんやってみたら」と古村さんが背中を押してくれたように感じたのだった。あとは女房の了解をどうとりつけるかだ。それまではこの話は凍結することにした。

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