駒田正義さんから、戦時中の淡谷悠蔵(社会党の闘士で戦後代議士5期つとめるとともに、農民運動を続けるなか作家としても活動)さんと東亜連盟、とりわけ石原莞爾氏との関係について、淡谷さんの最後の著作である『海鳴り』を参照して教えていただきました。そのほか、東亜連盟についての朝日新聞の解説もあわせて提供していただきました。疑問に思っていた点が解明されました。ありがとうございました。
以前抜き書きしていた標記関係の文章を見つけました。参考にしてください。
「海鳴り」淡谷悠蔵作より
・170p 私は戦時中、一切の左翼運動が弾圧されていた時、東亜連盟の運動に活動の場を求めていた。中国との紛争を早期に解決し、東亜一円を連盟して平和を築こうとするこの運動を私は軍国主義の運動と思ったことはない。むしろ石原完爾を中心にした運動だけに、東條の軍閥とは烈しく対立し、圧迫を加えられていた。
・220p 東京へ行って、四、五日泊まって、まだ残っていた東亜連盟の資料も読み直し、これは当時の日本軍閥に抵抗して、アジアの民族を組織して、帝国主義戦争に反対させるための運動であったことを強調し、それなればこそ、当時、日本軍閥政府から烈しい弾圧も受けたのだと強調して、書類を調えて帰った。(中略)そして、追放は解除された。
・東亜連盟とは日本と「満州国」、中国は対等の関係で連盟を結成すべきだと、石原莞爾(明治22年(1889年)1月18日~ 昭和24年(1949年)8月15日))が唱えた理念。39年、東亜連盟協会が発足、43年に東亜連盟同志会と改称した。3国の政治的独立(内政不干渉)や、「満州国」における「民族協和」の実現などを主張。東条英機や岸信介らが主導した日本の満州支配に批判的だったことなどから、憲兵や特高の監視にあった。むきだしの帝国主義に対する批判を含んでいたため、知識層にも支持されたが、一方では「満洲国を介在させながら日中提携を計ることは致命的な錯誤」だった(河原宏『近代日本のアジア認識』)と指摘されている。(
2008-03-25 朝日新聞 夕刊 東特集A )

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