昨日の朝4時までかけて、正社員申請書の和文作成に協力したのが功を奏したのか、朝9時過ぎ(中国時間で8時過ぎ)に、会社へ申請書を無事に提出できたことを教え子が報告して、礼を言ってくれた。22歳の彼女は、今度は夕方になって、今月22日から正社員となることが決まった、と再度、礼を言ってくれた。そして、カバが遼寧省の省都瀋陽に来たとき、立派に社会人となって成長した姿を見せると言って、カバを喜ばせた。
午後にアウガで、「遙」のさよならパーティーの打ち合わせがあった。総勢56人のパーティーとなる予定。東京から内田弁護士も参加し、特別講話もしていただく予定になっている。最終号に詩を寄稿してもらった4人に自作詩を朗読してもらうことも決まった。会場の下見もした。カバの役目は、遙の初号から60号までの搬入・会場展示・搬送と当日の受付である。受付は三野さん、千葉さんと一緒なので安心だ。どんなバーティーになるのかいまから楽しみ。当日は、車を使わなければならないので、飲まないことにした。宴が終わってから、静かにひとりで飲もうと思う。同人誌の「遙」がなくなるので、創作の発表の場が少なくなるが、その分、もっともっと勉強し推敲を重ねて、、北狄にいい作品を発表しなくちゃならない、と思う。それに、川柳も皆に罵声を浴びせられないよう、馬鹿にされないように、いい句をつくりたい。
そのあと、社会文化センターに行き、泉さんと石岡さんに連休明けの挨拶をしたあと、デスクとパソコンを借り、北狄362号の解説文(青柳さん、井藤さん、秋村さんの作品)の続きを完成させた。3作品を丁寧に読み、内容をもれなく解説紹介しているうちに分量は5ページにもなった。あとは、新聞社の記者に任せようと、古川の事務所に戻り、原稿をファックスで送った。
カバは川柳と俳句の違いが、いまもよくわからない。だからいいかげんな句ばかりしか作れないのだ。少し、まじめに川柳を勉強してみようと考え、時実新子さんの「川柳の学校」を開いてみた。時実新子さんは、川柳とは「人間を詠んだもの」、そして、「文芸」として価値あるものだとしている。しかも、川柳はおとなの文芸、だともいっている。また、俳句と川柳の一番大きな違いは、発想、すなわち見方の違いだとし、俳句は絵でいえば風景画、川柳は人物画、俳句の多くは人物が添景として扱われるが、川柳は人間がクローズアップされる、と。
すこしだけ、わかったような気がした。小説もやはり人間をえがくことに変わりはなく、その人間のネットワークとしてまわりの人間や社会、そして自然とのかかわりをコツコツ書いていくことなので、文章道の修業の意味もこめ川柳に近づいたこともあながち間違いでないことにも気づいた。もうそろそろ川柳そのものへ向き合うべき時がきていると感じた。
川柳のなんたるか理解すべく、心に残る川柳をいくつか書き留めてみた。エクセルで5・7・5の三区切りにしてみると、必ずしも17字に限定されていないのがわかった。そんな作業を7時でやめて、家に帰ることした。
浪道の踏み切り手前でとり平による。焼酎水割り3杯と生野菜にハツ焼き4串で800円だった。県庁の山さんに久しぶりで会う。彼もいまや局長だ。相変わらず色が黒い。帰りがけにそっと挨拶して店を出る。
家に帰り、北狄363号へ出す小説「ねぶた師平蔵」の執筆再開の準備に入る。気持ちの切り替えが必要なのだ。日本文芸振興会から直木賞・芥川賞の北狄作品の推薦依頼がとどいている。361号と362号からそれぞれ2作ずつ推薦するつもりだ。もちろんいつだって、推薦作が候補作の候補作にも入ることはない。

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