昨日は、東奥柳壇へ投句するためにハガキの宛名を書き、2句つくって送った。事務所へ行く時間を気にしながら、古村さんへの手紙をブログに書いた。平和憲法を守ることは民主主義の根幹にかかわることだと思いつつ、そのなかでも地方自治とは何か、民意が自治に反映されなかった例としての浪岡と青森の合併がこのままでいいのか、カバはこれから何をなすべきかを自問自答した結果を書き連ねた。
古村さんに、遙の最終号と北狄の362号を渡すべく準備して、まず事務所に出かけようとしたら雨足が激しくなった。12時からの県9条の会の新町での街頭でのチラシまきに参加する予定だった。迷った挙句、小降りになるまで待つことにした。結局、12時15分になっても雨は止まず、左手に傘をさして自転車に乗った。風も強く、傘が二度もまくれて裏返しになった。傘の骨が折れ、透明なビニルが破れた。
だいぶ濡れたが、古川の事務所に着いたのは12時40分だった。チラシまき参加は断念して、1時半からの9条の会にだけ出ることにした。コーヒーをサイフォンで入れて飲んだ。1時15分に事務所を出発した。
9条の会は全部で14人が参加。遅れて首長の会の古村さんも来た。岸柳さんも隣の席に着席した。18日盛岡での東北の交流会へ岸柳さんが出席するという。カバも参加の予定だったが、家の用事が入り、車を提供することができなくなったことを詫びる。5月3日の憲法を守る県民集会への出席を鹿内さんに確認する。用務で出席できずとの本人の返事。あわせて19日の遙のさよならパーティーにも参加できないとの返事を金沢弁護士に伝えるように言われた。残念だが、公務とあれば致し方ない。いつかゆっくり、鹿内さんと、金澤弁護士と三人で語る日がくるのを期待することにした。これにほんとうは、石岡弁護士が加われば、最高なのだが、と思いつつアウガをあとにした。
十和田市の高橋農林部長の昇任祝いが彼の十和田での用務が入り延期になったので、アウガでのチェルノブイリ子どもネットのドキュメンタリー映画『放射線を浴びた「X年後」』に行くことにしていた。しかし、それまで3時間半も時間があるので、事務所に戻るか、家に帰るか迷った。雨はやんでいた。
昼を食べていなかったので、丸海へ行ってラーメンを食べることにした。昼の時間をずらすと空いているのと、ラーメンも手間暇かけて作れるようでいつになくおいしかった。結局、事務所に戻り、書類の整理とパソコンでメールへ返事を書いているうちに5時半になった。
アウガについて、6時半の開演を待った。隣の席に駒田さんが座った。映画が終わったら侍へ行こうと約束。映画は1954年のビキニ環礁での水爆実験で被曝した漁師たちの無残なその後を追ったドキュメンタリーだった。第五福龍丸と同じく付近で操業していた漁船の乗組員たちがいた。南海放送が、被爆したそれらの乗組員たちのその後の足跡の調査を続けている高校教師の姿を追って恐るべき放射能の被害の実態が明らかとなり、告発している映画だった。
カバはこの映画を観て、昨年8月4日と5日にみた福島県飯舘村の放射線被曝の実態と重なった。福島第一原発から約50㎞も離れた飯舘村の人たちは3月11日の東日本大震災のあと、第一原発事故による放射能雲が上空に迫っているのを知らされず、20キロ圏内からの避難者の対応におわれていた。そして、15日の夜、何らかの不安を感じつつ、黒い雨が降るのを不思議に思っていたのだという。そして、実際に全村に避難勧告が出されたのは1カ月後であったのだ。
福島第一原発事故で約1カ月も放射線を浴び続けた飯舘村の村民が、2011年3月15日以後、X年後にどんな症状が現れるのか、そう思うと背筋が寒くなるのだった。

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