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2013年4月28日日曜日

東奥日報の北の邊紹介記事に「母のベレー帽」は割愛

 一昨日の東奥日報の文化欄で青森ペンクラブの会誌「北の邊」が紹介されていたが、カバが書いたエッセー「母を語る」の『母のベレー帽』に関するものは割愛されていた。原稿用紙16枚も書いたのだから、一行くらい、せめて名前だけでも載せてくれてもよさそうなものだ。
 そんななか、河北新報からは北狄362号について、小説3編の解説文を書くように依頼された。どんな記事になるかわからないが、同じ生活文化部でも大きな違いである。
 昨日(27日)カバは、午前中に労金へ行って、26日振り込まれた退職後共済年金を引き出しに行った。妻に21万円渡した。残り9万円のうち、1万円を小遣いとし、残りはプリウスの車検費用に回した。他の通帳もついでに記帳した。昼は千成寿司からいただいた蕎麦だった。年越し蕎麦を冷凍しておいて忘れていたらしい。それがまた、なんとも美味かった。
 午後も相変わらず、断続的に雨が降っていた。1時過ぎに千葉慶さんから電話で白濁り酒「大慶び」が出来たので、取りに来いとの誘い。さっそく車で駆けつけ、一升瓶と鶏の卵5個もらう。
 5時半には自転車でアラスカ会館へ出かけるつもりだった。6時から三四郎クラブの幹事会。そして6時半からは青高硬式野球部父母会へ三四郎クラブの一員として出席する予定だった。
 アマゾンから林望の『いつも食べたい』が届いた。先の小山清の『落穂拾い・犬の生活』と2冊、読んでは休み、また読みかけたりしているうちに5時になった。風呂に入り、着替えをして、髭をそり、自転車に傘をさしこんで、出かけた。5時40分だった。
 6時ちょうどにアラスカ会館に着いた。三四郎クラブの役員会は、この1年間の活動計画と役員の承認が案件だった。カバは幹事だった。幹事長と副幹事長というポストはなくなっていた。総会でなく、役員会で役員を決めるのは民主的でないと思ったが、総会をやらないのなら致し方ない。会長は西村元ママショップ社長、副会長が山田獣医と和田税理士で、あとは7人が幹事である。このなかには嶋田市会議員も入っていた。
 6時半から父母会の総会。今年は、マネージャー含め54人の部員ということで、いつにない大所帯の野球部だった。野球部OB会(甲田クラブ)からは上林会長が病欠のため、熊谷副会長と石岡事務局長の2人。来賓席についた会長を除く三四郎クラブの8人は同じテーブルだった。9人を代表し、乾杯の音頭をとった会長は、青森高校を甲子園で1勝させる会(三四郎クラブ)とクラブの由来を説明した。甲田クラブの熊谷副会長は、「ことしこそ甲子園をめざしてほしい」とエールを送った。三四郎クラブに対し、うるさい的外れなヤジで顰蹙をかわないようにと暗に新父母会長から挨拶で皮肉られる一幕もあり、過剰な応援と審判や部員へのヤジの自粛を求められた。
 カバは二人の息子が甲田クラブ(野球部OB)会員で、カバ自身も父母会長もPTA会長も経験したことから、ほんとうに純粋な気持ちで青高野球部を応援しているのだが、三四郎クラブの先輩たちにはなかなか理解されていない。しかも、小さな大投手といわれた里村監督とは主将だった長男が野球部の同期で、その縁もあって、今の野球部には特に親近感をもっていた。
 アラスカ会館を出て、天ぷら「堤」の開店祝いに立ち寄った。お祝いに花でもと思ったが、花屋はすでに閉まっていた。開店祝いの花が並ぶ中、店に入るも、元寿司屋を改装した天ぷら屋はなかなかいいたたづまいであった。10日に三甲会の花見の宴をここで開くことにしている。
 天ぷら堤を出て、その足で堤の千成寿司へ。脳出血で倒れ、リハビリ中の主人(青高の元野球部監督)の貌を見に寄ったのだ。店には甲田クラブの二人が先に来ていた。元監督の主人も加えて四人で今年のチームの戦力分析をしたが、どうしたら山田高校に勝てるかが毎年の課題であった。先のリーグ戦でも2:4で惜敗している。あと少しなのだ。エースの佐藤君とキャプテン川久保君ら打線の奮起が望まれる。知人の子が小畑君、館山君と二人もいるのは嬉しい。
 千成寿司を出たのは10時半を過ぎていた。主人を店近くの自宅まで送りとどけ、自転車にまたがって夜の国道、浪道をひた走って家路についた。とうとう雨にあたらずに済んだ。
 

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