魯迅は言っている。物書きが文章を書く時、冷嘲や厭味にならないように気をつけ、麗しさが現れるように風刺することが大事だと。カバの風刺はまだまだ魯迅の境地には程遠い。勉強途上、毎日精進だ。
杜甫 「草堂が出来て」
城郭を背に白い茅で屋根をふいた草堂が出来あがった
河ぞいの路も歩きなれ 青々とした郊外の野原が見下ろせる
はんの木の林が日をさえぎり 葉は風に鳴っている
竹の葉はもやもやと煙って 梢から露がしたたりおちている
そこでは鳥がひなをひきつれてひとしきりさわいでいる
草堂ではしきりに燕がさえずり新しい巣をつくっている
人は この草堂を白だ黒だとからかわれたかの揚雄の家になぞらえているが
なまけ者の私には 彼のようにそれをうけてたつ気持はない
註;七言律詩。原題は「堂成」。上元元年(760)春、杜甫45歳の時の作。杜甫一家は前年乾元二年の冬十月、泰州を去って同谷に移ったが、相変わらず貧困に苦しめられ、十二月一日にはその同谷にも見切りをつけ、蜀道の剣路を越えて四川の成都に赴いた。年末に成都について草堂寺の僧、復空のところに寓居することになった。年あけて春、成都の城西、錦江の支流である浣花渓のほとりに居を卜して草堂の建築にかかり、春末には完成した。いわゆる浣花草堂で、この詩はそのときの作である。
カバは2012年12月、成都を訪れ、杜甫草堂を見学した。1352年前の趣が草堂の周りには溢れ、杜甫がまるで活きているようだった。夢が実現し、草堂脇の亭の榛の木のたもとで時を忘れて、杜甫の気持を今の自分に重ねて池をながめていた。この詩にあるとおり、草堂へ続く石畳の道の漆喰塀の両内側からのびた孟宗竹がアーチとなって訪れる人を雨露や陽ざしから守ってくれているように思えた。

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