昨日昼のの康家の特盛チャーシューメン、夜の新年会でも会食、そして家に帰ってからの女房特製のカレーライス(実は一昨日、あまりのうまさに大盛りで二皿も食べた)を軽めに一皿食べたのが災いして、今朝の計量で86.0Kgであった。二日後の定期検査まで83Kg台に下げるまで減量作戦の開始だ。とはいうものの、今夜は奈良岡さんと去年からの約束で焼き鳥で酒を飲むので、それ以外は1日の4時半まで炭水化物は口にしないことにする。
昨日の講演会(新しい唄をうたえ)で鈴木光司の前半のヨットの話はあまりにつまらなく、テーマの「新しい唄をうたえ」と何が関係があるのかと思いながら、東奥文芸とおかじょうき川柳教室、それに陽の会の川柳を考えていた。
鈴木の講演の後半になって、核融合(新エネルギー)のテーマに関係する話題が漸く見えてきた。彼のリング、ループ、エッジという作品のなかでの造語は、いずれも彼の人生観、自然観、宇宙観に由来することがわかった。つまり、「生命にとって、善とは何だろうか」であり、「宇宙にとって善とは何だろうか」ということであった。5億年前に生物体に雌雄の区別ができ、それが進化してきた歴史は善の方向性があったからだと彼は主張する。生命体がもつ進化に向かう多様性こそ、それぞれの生命体を維持してきたものであり、それこそ善なのだと規定する。このバランスを保った多様性こそ善というものの正体であり、これが一つのものに固定(たとえばファシズム)したときに悪に転化し死滅するという。
人類や地球、そして宇宙もいつかは終わりを告げる。始まりは渾沌からで、それが物として存在していくとう構造になっている。構造ができあがり、構造でできた宇宙はその構造そのものが善であると彼は主張する。
善とは、生命、宇宙をつかさどる前に進むエネルギーであり、アドレナリンのようなものだというのだ。人類も、細い尾根をバランスを保って歩いて行かねばならないのだ、と。プランをたて尾根を頂上に向かって長い登り坂を歩いて行くのは、ときとしてきつくなることもあり、下り坂の先にユートピアが見えるときもある。この楽園に導く下り坂には二つの罠がある。一つは、下り坂の先にはユートピアが見え、坂を登る気が失せる。もう一つは、長い下り坂を下りはじめるともうあともどりできない、という罠だ。
絶対善というものはないので、よりよい多様性を保持しつつ、よりよいネットワークをつくり合って、細い尾根をバランスを保って、歩み続けるしかない、というのが「新しい唄をうたえ」の結論であった。

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