昨日(28日土曜日)のことを書いてみようと思う。そのまえに、金曜日(27日)の夜のことから始めよう。カバは核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団の準備書面と自治労の反核燃運動史の青森県版の執筆をたなあげして、遙57号(締切8月5日)に掲載してもらう小説「ナリタブライアンはもういない」の目途をつけようと、原稿用紙換算で30枚まで書いて午前2時過ぎに眠った。
朝七時、この3月まで市役所勤めの棟方氏から、浪岡のさなぶり会へ綿羊を食べに行こうと誘いの電話がかかってきて起こされた。カバは予定がいろいろあって、1時過ぎに駆けつけるので先に行ってほしいと、浪岡に棟方氏の追加を連絡する。結局、そのまま起きてしまった。
オリンピックの水泳の結果をみて、朝食を食べているところへ、北狄の長老の石沢武さんの娘さんから電話。悪い予感が走る。娘さんは、石沢さんが危篤なので、会いに着てほしいと言われる。すぐに風呂に入り、着替えをして車に乗った。9時45分に県病に着く。
8階の個室に石沢さんは横たわっていた。意識はないようで、呼吸は荒く、しかし、脈もしっかりしていて、体もあったたかった。下の娘さんが看病していて、すぐに上の娘さんも病室にきた。奥さんに先立たれた石沢さんは、上の娘さんと暮らしていて、急を聞いて下の娘さんも埼玉からかけつけていた。ふたりの娘さんに看病されて、石沢さんは幸せだと思った。心残りは書きかけの小説の完成を待たずに、倒れたことだろう。これまでに何度も入院し、そのたびに病に打ち勝って、執筆を第一義にしてきた県内最高の私小説作家であった。今度ばかりは、無念の思いが体中からにじみ出ていた。カバは石沢さんの頬にふれ、左手を握り、右肩をゆすった。毛布からはみ出た両足の指をさすった。
心筋梗塞の痛みを和らげようと、モルヒネを打って、意識をうしなったというが、実に穏やかな課をしていた。それとは逆に、書くという、書きたいという、書かねばならぬ、という想いが伝わってくる。石沢さんはカバが会いに来たことを分かったのか、一筋の涙を流した。カバは石沢さんからのエールをしっかり受けとめた。カバも「命あるかぎり、書き続ける」と。10時20分に病室をでる。
10時半から県庁退職者会の総会だ。カバは組合の職員として、県の互助会にもいれてもらったし、組合を退職してから、退職者会にも入れてもらった。ありがたいことだと思っている。
もっとも、カバは組合を定年前に退職して、市役所職員になった。1年4カ月市役所で働いたのに市役所の退職者会からはお呼びがこなかった。管理職OB会からは誘いがあったが、同い年の棟方氏が入らないというので、こちらは自分で断った。皮肉なものである。
退職者会の総会では、会長の挨拶、組合の委員長の挨拶、労金と全労済からの挨拶、政党(社民党)代表の挨拶を聞いた。ここでは、その感想は控えることにする。11時45分に退席する。
12時からは、青葉工業会(東北大学工学部同窓会)の役員会と11月10日の50周年記念式典の打ち合わせ会。国際ホテルの5階に12時きっかりに到着。
青葉工業会青森支部は会長が県OB、副会長が県現職部長、事務局長と会計が市役所現職、という顔ぶれで、カバも常任幹事となっている。ほかには、大学教授や大学関係者、貴金属店経営者、税理士、日本原燃管理職など多岐にわたっている。カバだけが異色。昼食の弁当を食しながら、50周年記念式典(講演会その他)の打ち合わせがされる。1時に退席して浪岡に向かうつもりが、打ち合わせが難航。講演者が決まり、日程・会場も決まったのだから、あとは仕事の分担だけなのだが、なかなか本題に入らないうちに1時になった。そこへ、平川の福士市議から携帯に電話が入る。彼女は、「まだ来れないの、早く来て」と催促の電話だ。平川から茶話会の3人と、三国谷君一家、棟方氏が来て待っているという。「あと15分したら出る」と言って電話を切る。
1時15分にまた電話が来たところで、「急用ができた」と言って、席を立つ。
カバが浪岡の花岡公園に着いたのは、1時50分。古村県議が催す「さなぶりの会」には、100人余が集まって、2頭の食肉用の綿羊をつぶし、ほかに牛さがりも足して、地元の野菜でジンギスカンと焼肉の会で秋の豊作を祈願し、無病息災を願うという会だった。11時に始まって、1時過ぎには帰るひともでたという。市長が2時過ぎに来るというので、半分以上の人が市長の到着をまっていた。三国谷一家と棟方氏は1時半に戻ったという。
公園のグラウンドではない、駐車場脇の広場でパーティが行われていた。県議はダウンして横になっていた。海老名氏と橋本女史の両市議がいた。カバのシートには、茶話会の山田・福士の両平川市議がいて、大鰐の福原女子もいた。すぐに加藤昌彦もきた。
そうこうしているうちに、市長が登場した。相変わらず、県議は横たわったままだ。市長は各シートをひと回りして、2時半に別会場へ退席して、山田市議の音頭で中締めとなった。カバはここで、平川の3人組と別れ、二次会場へ鎌廣を乗せて木古内まで。そこに市長と区長が先に来て別室で会食していた。30分ほどで市長と区長は他の用務で退席したらしい。
カバは二次会場でさなぶりの会の後片付けメンバー十五人と一緒に六時までノンアルコールビールを飲んでみんなの話を黙って聞いていて、それから家に帰った。家に帰って、振り返ってみると、石沢さんの姿が残っていて、さなぶりの会の会話は頭に残る話はなにもなく、それでいてひどく疲れだけが残った。、
それでも、カバは家で9月の裁判の準備書面の日本の原子力規制体制の問題点について作業を開始した。しかし、9時にはじめて10時過ぎに石沢さんの娘さんから電話があった。石沢さん9時25分に静かに息をひきとったということだった。石沢さんの無念を思いながら、作業を続けたが、11時半で眠くなってしまった。寝室に書類をもっていき、寝ながら資料を読もうとしたが、30分も持たずにダウンしてしまった。
カバは目を閉じ、石沢さんの冥福を祈った。

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