過去 1 週間のページビュー

2012年4月22日日曜日

とてもタイトな一週間

カバにとってこの一週間はとてもタイトな日々だった。その最たるものが、「無縁の抒情詩人佐々木英明と幻のロックシンガーの一夜」の上演だ。稽古は、事務所で続けてきたが、先週の土日はとにくに熱が入った。18日の夜、渡辺源四郎商店から平台を借り、舞踏家の福士正一さんのアトリエから照明機材を借用して、会場の旧おきな屋新町店に運び込むことから仕込みが始まった。上演前日の19日には、ホールを上演用に片付けることから始め、演幕と舞台を設営した。また、甲屋氏から借用してきた音響機材を設置し、取り付けた照明機材のテストを繰り返しているうちにあっという時間が過ぎ、朝が昼、そして夜になっていった。その間にも、パイプ椅子をあちこちから借用してセットした。
 パイプ椅子を4カ所から68脚(5脚、30脚、18脚、15脚)用意したが、ホールには音響、照明、受付のスタッフのメンバー用も含め、63脚しか入らなかった。56人の観客が入れば満席となる勘定だった。
 当日(20日)は、午前中照明・音響を入れた照明と音合わせ稽古、そして午後に最終リハーサルをして本番に臨んだ。午後6時半、開演時間には46人が入場した。スタッフ全員が漸く座れるくらいの満席となった。ほっとした。
 第1部の古川壬生の自作詩の感極まった朗読とバラード3曲の歌唱と演奏は無事終わった。そして、第2部は古川壬生作、佐々木英明演ずるひとり芝居となった。リハーサルでは、55分もかかったので、観客をどう引き付け続けられるか少し心配だった。
 本番では、若干リズムをとりもどし、見事に佐々木英明が演じきり、感動の幕切れとなった。満足して帰っていく観客を尻目に、すぐにスタッフ全員と打ち上げ参加者の有志による撤収作業に入る。20分ほどで、旧おきな屋新町店の元のままに戻すことができた。あとは、借用していたパイプ椅子と演幕、平台、照明機材、音響機材を返却するばかりにして、シャッターを閉めた。会場に来られた福士正一といっしょに佐々木英明が照明機材を即日返却しにでかけた。
 9時過ぎに喫茶一二三で打ち上げ。英明と正一もあとから参加。藤川幸治、むさしらも参加して14人で賑やかに打ち上げをする。午前12時、カバは棟方氏の車で、千葉慶とともに退却。英明、壬生らは午前3時まで打ち上げを続けたようであった。酒になるとタフな連中だ。
 21日は忙しかった。高校野球の公式戦開始日。11時からのパイプ椅子と音響機材の返却の前に青高の応援に青森商業のグランドに。試合は10時半に終わり、3:0の完封で商業に勝った。今シーズン初勝利であった。港町の良夫を迎えに行き、おきな屋から青柳の社文まで音響機材とパイプ椅子30脚の返却に3往復、1時間半を要した。英明と落ち合い、カバの事務所に戻り、事務所のパイプ椅子を戻すのと、英明が提供持参の稽古用のMD・CD再生機材を返却する。
 1時に帰宅し、着替えをして、労働福祉会館で市長の挨拶を聴き、2時からの青森ペンクラブの総会、講演会、懇親会へ。この間、3時過ぎにアラスカ会館を抜け出し、おきな屋旧新町店へいきナベ源の平台返却に立ち合う。水口、三国谷、英明に頼み、あとまたアラスカ会館へ戻る。「村次郎と私」と題して八戸の詩人圓子哲雄が講演。村次郎という人が博学多才の天才だったと弟子の圓子が熱弁をふるっていた。総会は閑散としていたのに懇親会は盛況という不思議な青ペンだ。懇親会だけに顔を出す会員もおり、単なる呑むべい集団じゃないかと飲めないカバは皮肉ってみた。懇親会に顔を出し、酒を差し入れして、乾杯の音頭のついでに演説までする人も現れて文学とは無縁のペンだなとカバは少しがっかりした。
 6時から同じ会場で、浪館小学校の歓送迎会、6時45分にクラウンパレスでの青森高校硬式野球部OB会甲田クラブの総会へ三四郎クラブの要請で出席。上林甲田クラブ会長、里村監督、逢坂元監督、らと懇談。場所を千成寿司に移して、山口広一さんらと二次会。帰宅したのは11時であった。
 あとは、23日の11時集合で最後の演劇鑑賞会へパイプ椅子と演幕を返却して、反省会をやってすべて「英明と壬生の一夜」の後始末は終わりだ。カバの春はこれからだ。


 

0 件のコメント: