昨夜の北狄合評会は、小説の合評以外のことで大いに盛り上がった。カバの書いた「城ヶ倉大橋」は友人の死のことを書いた小説だが、そのなかで地方公務員災害補償基金への公務災害申請のことも書いた。小説では、補償基金が公務災害との高裁判決を受け入れ、上告を断念したことを書いたが、基金側の上告断念に対しての評価が示され、立場や見かたを変えると評価はいろいろ変わるものだと面白かった。行政や権力とは、正義や真実とは別になりたっていて、そのメンツやプライドを翻すのは困難なのだと理解した。だからこそ、基金の支部である県が中央と協議して上告を断念し、公務災害を認めたのは大したものだ、というのだ。
編集長の小説は6回にわたって連載された総合運動公園の移転にかかる県議会の知事と与野党の攻防を描いたものだが、これは合本修正加筆して1冊の単行本にする話をもちだして、直木賞が狙えるとカバは推奨した。ご本人もまんざらではない様子で、今後の展開が楽しみだ。議会関係者の金銭の授受があったとされる中で、1票差で移転案は否決され、その後、別の土地に建設地は変わったものの、未だにサッカー場も野球場もできないままである。移転の原因となったのは、三内丸山縄文遺跡である。新野球場の建設中に遺跡が発掘され、新候補地を選定して、運動公園として移転する計画であった。このドラマの視点をどこにおくのかと、ドタバタにならないようにまとめる手腕が編集長には問われる。
ウルグアイに農業指導に二年間赴いた同人は、築城400年の市の元副市長であった。夫人はイザベラ・バードの国内研究の第一人者でもある。ウルグアイを含め、中南米はブラジルのボルトガル語以外、すべてスペイン語だと語る。三カ月、長野でスペイン語を特訓し、それからウルグアイでさらに三週間、語学専門に研修してから、現地の農業指導に当たったという。副市長をやめて、南米に農業指導に行く勇気のある同人は、これからどんな小説を書くのだろうか。晴耕雨読といって、春になれば自分の土地を開墾して農作業をするという途方もなく大きな人だ。
去年で農協を退職したカバよりすこし若い同人は、高校時代考古学クラブで発掘をはじめ、郷里で中世の擦文土器を発見した張本人だという。平安時代から鎌倉時代の初期にかけて、外ヶ浜には蝦夷の城があって栄えていたという。その発掘や考古学者の師弟関係や学者の世界を彼は小説に書いているのだが、次号には自分が発見した貴重な土器を保蔵したまま返さない大学を糾弾する小説を書くという。こりゃ大変だ。
県の大幹部だった長老の同人は、最近、仏教理解のためのエッセーのような小説から、純粋な掌編小説を書いているのだが、頭脳の明晰さと記憶力のすごさはピカ一だ。その長老が、事実と逆なあらぬことを言われたり、書かれたりするとの、その昔の思い出を語っていた。要職にあるものは、その覚悟とすきをつくらないことが大事だとカバに教えた。無職のカバに彼が言いたかったのは、カバのことでないことは言うまでもない。
カバの友人の死と元副市長が辞任した本当の理由は定かではないが、どちらにもパワーハラスメントが関係していたのは間違いがない。
今回は、投稿した佐々木英明も参加してくれた。彼の冷静な評言は、みな聞き耳をたてていたが、最長老の私小説の大家には聞こえないらしく、すこし残念であった。かつて、故服部先生が「頑固者」と評していた大家は死ぬまで、私小説を自らの墓穴を掘るような気魄で書き続けているのだ。
とにかく、大雪で寒の厳しき折だったが、6時に始まった合評会が終わったのは10時を過ぎていた。こんなもりあがった合評会はないと話したのは、ウルグアイ帰りの元副市長だった。
カバは編集長のタクシーに便乗させてもらったは良かったが、大通りで降りたところが除雪作業中でツルツルの車道ですってんころり、もんどりと腰をしたたか打った。これぞ、天の叱咤激励か。

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