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2012年1月8日日曜日

厳しい冬があってこそ春を迎える喜びがある

去年の12月10日から青森の雪は根雪となった。年が明け、成人式の今日、ついに積雪は1メートルを超えた。屋根の雪下ろしや除排雪で何人もの人が死に大怪我をした。去年は1月にたくさん雪が降った。車庫の前の雪を降るままにしておいた。市役所のブルも入った。硬い雪が家の前に寄せられた。そんなわけで、車庫から車を出すのに、何度か埋まった。プリウスは車高が意外と低く、すぐ雪が車底につかえた。穴から無理やり引きだしたものの車庫の柱にぶつけたこともあった。
 今年は役所の除排雪があまりない。深夜・早朝がうるさくない。しかも、毎日、車を使っている割には、事故はもちろん、接触もない。なぜなら、こまめに朝と夕方に玄関前と車庫前を除雪しているからだ。溜めると億劫になることがよくわかった。なにごとも、真面目に、誠実にやることが大事だと、カバは62歳になって初めて知った。
 朝、雪かきをしていると、隣近所の人もみな雪かきをしている。自然に挨拶を交わすようになる。笑顔になれる。みんなこの厳しい冬を乗り越えようとしているのだ、と実感する。
 我が家では、働いていないのはカバだけだ。だから、せめて出勤する家人のために家の前の雪かきをすることは当たり前だ。時には、職場まで送ることさえある。きまって、感謝の言葉をもらう。それは気持がいいことだ。
 家族、知友人、同僚、隣人、そしてすべての人たちに対する愛情と思いやり、その心さえあれば、豊かに楽しく暮らせるのだ。孔子のいう孝悌や魯迅のいう愛国はけっして古いものではないことがわかった。
 あとは、どうしたら軽蔑、憎悪、抑圧、恐怖、殺戮のない社会、世界をどうつくるのかだ。カバ個人では、軽蔑しない、憎悪しない、抑圧しない、殺人しないことは守れるし、誓うことができる。しかし、恐怖だけはいまのところ避けられない。なんとなれば、原発・原子力施設の核事故に対する恐怖だ。これだけは、個人ではどうしようもない。原発や原子力施設をなくさないことには、カバはこの恐怖から自由になることはできない。政治的には、搾取のない、能力に応じて働き、必要に応じて受け取る社会が一番いいと思っている。
 金のかからない生活はできる。物欲を制御し自制することによって必要最小限の生活をすることが可能だ。何もしないで、家にある本を読み、小説を書くということは、とても楽しいのだ。あきたら、外に出て雪かきをすれば、眠気はすぐさめる。
 カバはそれで不満足でないし、金がなくても豊かな幸せを実感できた。61歳で初めてそれを享受できた。カバはそれが自分に対するご褒美だと思った。それは1年経ったいまでも続いている。
 カバの核事故にたいする恐怖はなにも現在のことをいっているのではない。原発だって世界に400基あるし、どんどん作られているし、放射性廃棄物はどんどん増え続けているのだ。過去の核事故の経験が、現在、そして未来への恐怖なのだ。カバ個人だけでなく、人類の現在から、未来に引き続く恐怖なのだ。太陽がなくることや大きな隕石が地球に衝突する、それに匹敵するような恐怖に、カバは原発・原子力施設で起きる核事故に対して感じている。
 いずれにしても厳しい冬をそれなりに愉しんでいるのだから、これが草花が一斉に開き咲く春になればどうなるのだろうと想うといまからワクワクしてくる。しかも、5月の下旬になればニューヨークにいけるのだ。長男のところの孫マシュー君にあえるのだ。
 まずは、厳しい冬は痛風と糖尿病に打ち克つべく節制をつづけることによって、素晴らしい春を迎えられるはずだ。

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