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2011年11月16日水曜日

無収入の嘆き

カバは25歳で大学院を辞めてから、61歳の12月まで働き続けてきた。確かに、昨年8月に中国に赴任してからの5カ月間は、給料は人民元であったし、振り込みは長春の銀行のため、女房には渡しようがなかった。
 しかも、日本で人民元を円に換金しようにも、1元10円程度で1万元の預金も、帰国してしまっていては簡単に円には換金できなかった。半分を東京の中国銀行で引き出し、それを円に換金した。何か大損した気分だった。残りの元は、7月に中国へ旅行した時、使ってしまった。
 だから、女房には去年の8月以降、年金(報酬比例部分のみの部分年金)のみしか通帳に記帳されていない。定年になってからも再任用していた4カ月の間、毎月17万円が市役所から振り込まれていたのは、大きいことが今年になって痛いほどわかるようになった。自由の代わりに失った代償も大きいのだ。家計を預かる女房にとっては、毎月の赤字でそれがよくわかるのだ。
 仕事をしないで、家で自分の好きなことをするなら、生活の質を変えるべきだと、女房に何度も指摘されてきたが、カバは耳を貸さなかった。
 どんどん目減りしていく退職金の額を案じているのは、老後の蓄えが満額年金となる65歳前になくなる心配をする女房だけではなかった。いまや、カバとカバの女房を扶養家族にして、一家の大黒柱となった三男であった。彼には自分なりの夢があるらしく、その資金も残しておいてほしいという。こんな具合で、時間の自由を得たカバは逆にますます肩身の狭い思いをして毎日を暮さねばならなくなった。
 カバは結局、自分の小遣いを削らねばならないことになった。友人の付き合いはもちろん、冠婚葬祭費も削らねばならなくなった。それはしょうがないことだった。女房と三男からは、仕事もしていない(無収入な)のに事務所を借りているのは何事だと文句を言われた。黙って家にいて、じっとしていりゃいいじゃないかと。
 屈辱的な日々を送っていたときに痛風の発作に襲われた。それでわかった。家にいるとたしかに金がかからない。家で晩酌のビールを飲まないと酒代もいらない。ましてや、痛風のための食生活の改善というのは、なんということはない、肉・脂肪・塩分をとらずに、ひたすら水を飲むことなのだ。水は無料。玄米食にしてくれというと、新たな炊飯器を買う金がないから駄目と供されたので、逆にコメすら食べなければいいという具合だ。
 痛いのは足だけではなかった。三人家族のなかで、二対一のいじめに遭っている気分の方がもっとたちが悪いのだ。死にたいほど病んだ足の痛みから解放されると、今度は心の痛みが突き刺さるようになった。
 いまや、無収入のカバはこんな具合に身も心も痩せ衰えている。しかし、こんなことでは負けてはいられない。この際、身も心も徹底して削って、すっきりした心身で新年を迎えるつもりだからだ。

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