15日、清川浪之丞は予告通り4時前に青森駅に降り立った。紋付羽織と袴まで衣装ケースに詰め込んで、秋風が駅前を九十度に曲がって吹きつける土曜日の夕刻前であった。車で一緒に迎えに行った柴谷君が、「しばらくみないうちに(といっても6月に万作の咲く頃、弘前であったばかりだというのに)、大分痩せたんじゃない」と話しかけると、浪之丞は「いろいろあって、だいぶ痩せちゃった」とひょうきんに答えた。
浪之丞のいろいろは、選挙に出る出ない、出す出さない、ということだろうと思うに、本人も「おだてられ、いちじは出てみようかとおもったが、結局、そんな暇はないと諦めた」とけろっとしたものだった。国分町の店(居酒屋「石」)と落語、それに市会議員じゃ、とても無理なはずだ。
浪之丞には居酒屋のおやじと落語家師匠は似合うが、市会議員先生はどうしても似合わない。カバは6月にどんなもんだろうか、と本人に訊かれて、「やってみれば」と返事をかえしたが、還暦過ぎて新しく恥をかくのは、恥の上塗りのようなもんだと、浪之丞の危なっかしさに変に感心したりもしていた。自分にできないことに対する嫉妬のようなものであった。でもまあ、少し痩せたぐらいで、焼けぼっくいに火がつかずに済んでよかったのだ。あとは、還暦過ぎて痩せたら癌、でないことを祈るしかない。
木製のテーブルを縦に三つ重ね、横に一つくっつけて、上にくろい紙シートを張り付けて舞台をつくった。後ろに臙脂のカーテンを舞台奥のカーテンとした。アクセントをつけるために、カーテンの上に、鈴木正治さんのクジラの絵をつりさげた。舞台監督は佐々木英明だ。江戸勘亭流のフォントで演題めくりと表の看板をつくったのは、水出しの工藤良夫と演題めくりのな柴谷富美雄だった。受付は三国谷賞一がやり、新町通りでの通行人の呼び込みは小道具係の水口通明と二年後輩の木村宏がやってくれた。
客席は社会文化センターから20脚、隣の高谷鋸店から15脚、そしてカバの事務所から5脚の40脚用意して準備し、当日演劇鑑賞会から17脚借りて、受付も含め都合57脚用意した。予備に5脚残し結局50席つくった。
5時から脚が入り始め、開場5時半には30席が埋まった。6時きっかりに45人の客が見守る中、佐々木英明が持参したデッキコンポの音響設備による出囃にのって清川浪之丞が颯爽と登場し登壇した。
浪之丞の南部弁と津軽弁の混じった独特の野辺地弁ともいうべきなまりを仙台弁までミックスして、江戸前どころか東北訛り丸出しで、野趣豊かに語り始めた。
最高の舞台での独演会とあって、最初は少々、緊張気味であった浪之丞もしだいに口から先にほどけ、身振り手振りも軽やかになった。客席から笑いが小さな渦となって、乗ってきたところで落ちとなり、一旦舞台を降りた浪之丞は、カバに促されて再登場し、舞台に座るなり、大きく深呼吸して口を開いた。得意の民謡をとりいれた漫談風の現代小噺を始めると、客席から大声で腹を抱えての笑いが伝搬する。これぞ、波之丞落語の真骨頂だ。
休憩をはさんだ最後の演目は、「五貫裁き」かれは、この古典落語を55分、あくまで骨太に、しかもどこかおかしみに溢れた高座をしめくくった。おきな屋まえはバス停でもあり、新町通りを走る市営バスの発着によるエンジン音で、後部座席は聞き取れない個所もあったが、メリハリの利いた語りは十分に観客を堪能させる出来栄えだった。
笑いとは何か。人と人をつなぐこの伝統芸が、こんなにも噺家と客との交流の渦が、隣から隣へと巻き込み伝搬してゆくものだということを痛感した。生活や人生における一断面ではあれ、日常のことなど忘れ、噺家の話芸に笑いつぶれる二時間を共有できたのを実感させられる舞台だった。
会が終わり、簡単に片づけをして、打ち上げに元新聞記者の藤川君と質屋の浜田君も加え、浪之丞を囲んで一二三食堂は大いに盛り上がった。
再会を期して、10時半過ぎに宴を終え駅前に躍り出たとき、午後4時前に浪之丞を迎えた秋の横風が、こんどは温かい穏やかな浜風に変わっていた。みな、どこか満足げにそれぞれの帰路についたのだった。

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