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2011年9月2日金曜日

高校野球と三四郎池

 夏目漱石の小説に『三四郎』がある。熊本から上京してきた小川三四郎という東大生が、広田先生や野々宮理学助手、さらには美禰子という魅力的な女性とめぐりあい、成長していく青春・教養小説である。三四郎が本郷東大の赤門から入った森の中にある池(心字池)で美禰子に初めて出会う描写が印象的だ。この小説にちなんで、後年この池の名は「三四郎池」と呼ばれるようになった。
 この本郷東大の三四郎池をもじって、県立青森高校の体育館と野球グランドの間の草原にある小さな池を青森高校の生徒や教職員も「三四郎池」と呼んでいた。カバも高校時代、ほんの一握りほどの小池を眺めながら本郷の本物の三四郎池を想像したことがあった。
 結局、カバの一家は本郷の三四郎池には縁がなかったが、それでも二度だけ赤門をくぐって、入学試験の合格発表を見に行ったことがあった。残念ながら桜散るばかりで、ゆっくり三四郎池の周りを散策する余裕などまったくなかった。
 カバの長男と次男は青森高校硬式野球部の部員だった。二人とも甲子園をめざしたがベストエイトどまりであった。長男の時のエースが今の青森高校野球部監督の里村先生である。長男と5つ違いの次男は里村先生が講師時代に野球部で指導を受けたこともあった。里村監督とは浅からぬ縁もあり、カバは青森高校の野球部のことは他人事とは思えないのだ。
 そもそも、青森高校の野球部は文武両道を本分とし、甲子園をめざしつつ有名難関大学にも合格してきた。実際、長男と里村監督のチームメイトには現役で東大理一に合格した選手もいた。青森高校野球部にはOB会のほかに、「青森高校を甲子園で1勝させる会」という応援団組織がある。カバも次男の卒業後、ただちにその会に入会した。会の名前を青森高校野球グランドそばの池と東大本郷の三四郎池にちなんで、「三四郎クラブ」という。カバはいまやその三四郎クラブの役員までして、青森高校野球部の応援に欠かさず歩いている。
 青森高校野球部はことしもベストエイトで敗れてしまった。優勝したのは、甲子園で準優勝したあの光星学院である。いまや、県内の高校野球では、私立の4強(光星・山田・工大1・聖愛)を打ち破って甲子園出場を勝ち得るのは並大抵ではない。光星・山田はとくに全国から優秀な選手を集めているし、練習に打ち込める環境が出来上がっている。しかも、文武両道などと甘っちょろい考えなどいっさいない。野球推薦で大学にいけるからだ。
 カバはどうしたら勝てるのか、とその秘訣があるかどうかを、かつて少林寺拳法の日本選手権で準優勝したことのある同級生の三国谷君に訊いてみた。彼曰く「反則すれすれのことをやらないと、絶対に4強には勝てない」という。さらに訊いてみた。「反則すれすれは、果たして野球にあるの」と。
 三国谷君の答えはいとも簡単だった。「要するに相手に打たせなければいいのだ。相手チームの強打者は必ずベースに近づいてラインいっぱいに構えてくる。こわいからピッチャーは外角に逃げる。だから、打たれるのだ。内角を死球すれすれに投げ込むしかない。とにかく内角しか投げないことを徹底すれば、相手はきっと腰を引いてくるはず。そしたら、外角に変化球を投げる。確実に打ち取れるはずだ。だから、死球を怖がらずに、徹底して内角責めをつづけるしかない。」
 カバもその通りだと思う。里村監督に伝えようと、県営球場に向かった。降雨のため試合開始時間が40分ほど遅れた。順延になると思ったかどうか知れないけど、秋の県大会の地区予選の初戦の相手は、選手9人の松風塾高校だった。初回いきなり2点先取され、2回にも1点加点され、序盤は形勢不利であった。最後は7回コールド10:3だったが、課題を大きく残すと同時に情けない試合内容だった。これでは、4強と当たる前に完敗してしまいそうだ。
 試合途中、里村監督が「こんな野球をして、青森高校野球部として恥ずかしくないのか」と檄を飛ばしていたが、思わず「そうだ」と口走ってしまった。これでは4強との対戦で勝利するどころか、県大会にも進めない気がした。三国谷君が言うには、「自分より強い相手に勝つには、相手の虚をついて、そのまま押し続けること。自分より弱い相手には、絶対に負けないこと。」だ。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「三四郎池」ですかぁ~、懐かしいです。云十年もの昔、まだ若かりしころ、友達が東京大学の赤門を入り右手に少し行った建物の中に勤務していたのでよく、そこへ遊びに行ったものでした。ここが有名な池だと教えてもらった「三四郎池」、本当に、変哲も無い水溜りとしかおもえなかったけどなぁ。。

カバ さんのコメント...

コメントありがとうございます。これからも何か気づいたことがありましたら、どしどしコメントをお願いします。