過去 1 週間のページビュー

2011年8月21日日曜日

光星は敗れ、同窓会後の同期会で泥酔

 昨日の今日である。昨日は朝、9時からテレビに釘づけだった。逆転の二文字だけが、頭を掠めたが、逆に差は開く一方だった。光星のエースは完膚なきまでに打ちこまれた。日大三高は本当に強かった。確かに、光星学院の準優勝を讃えたい。とにかく最後まで甲子園を沸かせ、深紅の大優勝旗を東北に、青森県に、そして八戸市に持ち帰るその一歩手前までいけたことは、大手柄である。来年以降、全国優勝めざして頑張ってもらいたい。そのためには、全国からすぐれた選手を集めたらいいと思う。光星だけでなく、山田も、聖愛もだ。そして青森の、東北の野球のレベルをあげてもらいたい。
 甲子園の余韻が醒めないまま、昼に娘の嫁家から贈られてきた皇室献上の蕎麦を食べた。こしのある麺はゆるぎのないしっかりした味だった。気持ちもすこし持ち直したところで、午後1時に家を出て、成田本店にむかった。2時から齋藤葵和子さんの「青森のタカラモノ鈴木正治さんの世界」の話をきいた。淡々とした童女のような語り口に惹きこまれ、鈴木さんの人柄もよく理解できた気がした。ペンクラブの三上強二会長の鈴木さんの人となりの説明もおもしろかった。最後のアトリエとして作品の制作をした淡谷悠蔵邸で、庭の松の木を削った作品を鈴木さんが「唯一の失敗作」と評したというエピソードも披露された。
 4時からは高校の同窓会の総会・懇親会があった。総会にはでず、早々と宴会場で18回生の場所取りをした。カバたちは二年前の還暦のときから椅子テーブル席である。中央の丸テーブルに腰かけたのは、最初は柴谷君と二人だけだったが、途中20年ぶりで会う盛岡の佐藤君も顔をみせ、開会前にはテーブルの12人全部が18回生で埋まった。話題は甲子園のこと、定年後の人生のこと、仕事のこと等話題は尽きず、何もしないで隠遁生活のようにぶらぶらしているのはカバくらいであった。団塊の世代は、みなまだ若いし、たくましいと感じた。
 正式な同期会は去年で終わり、あとは5年ごとにしようと決めていた。それで、有志で二次会の同期会をやることにした。佐藤君は最初別グループの二次会に行ったが、カバは守谷君の店で八人でささやかな同期会となった。そこには、高校教師三人と公認会計士、元新聞記者、メンテナンス・修理業の社長の他に守谷君とカバだった。あとから大学の前の理事長も加わった。話題は同窓会の時の続きであったが、しだいに昔に戻った。恩師の昔話に始まって、同期生の消息も話題にのぼった。元気そうに見えて、皆、少々の病気を抱えている歳でもあった。飲み、しゃべり疲れたと、ひとり、ふたりと帰って行った。
 4時半から飲んで、10時までカバは飲み続け、かなり酔っていた。何か忘れ物をしているような感じがして、皆が帰ってからカウンターに腰かけて佐藤君に電話をしてみた。佐藤君は、「これからすぐ行く」と言って、タクシーを飛ばしてきてくれた。
 忘れていて、気にかかっていたことが、ふたつわかった。昔、佐藤君の父は国鉄職員で、日江劇場の近くの官舎にいた。カバは佐藤君の家によく遊びに行った。三年になって、佐藤君の父は盛岡に転勤し、佐藤君だけが貨物線路の近くに下宿した。カバは引っ越した佐藤君のその部屋が下宿だったことを忘れていた。日江劇場の家から貨物線路の家に家族全員が引っ越ししたものとばかり思っていた。確かに、線路沿いの下宿屋の狭い階段を上って行ったのだけはよく憶えていた。
 もう一つは、カバの長島小学校時代の同級生のMさんの父も国鉄で、彼女は父の転勤で中学の1年で盛岡に転校してきて、当時盛岡にいた佐藤君と同級生になったということだった。前にも聞いたことがあったかと思ったが、すっかり忘れていた。中学3年のとき、今度は佐藤君が青森に転校したため、消息がわからないが、その彼女はいまどうしているのだろうか、という話である。
 守谷君の夫人である店のママは小学校の隣のクラスであり、高校になって転入してきたMさんとは同じ高校であった。そんなことで、三人は大いにMさんの話題で盛り上がったのである。11時半に店をでてホテルまで佐藤君を送ったカバは、玄関の鍵を開けたところまでは憶えているがあとは記憶になかった。ただ、朝目覚めたとき、異様に体が重く、頭の氷が割られたような痛みが走ってどうにもならなかった。

0 件のコメント: