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2011年8月8日月曜日

花火大会と七夕祭り

 昨日は広島の原爆慰霊祭でテレビを見ながら黙祷をささげた。1945年8月6日午前8時15分に広島市上空で投下された原子爆弾リトルボーイには、U235が約50kg装填されていたが、このうちわずか1kgが核分裂した(推定)だけで、12万人の死亡させ、多くの負傷者をだした。負傷者はいまなお原爆症に苦しみ、被爆二世・三世になまでその被害は及んでいる。原爆の恐ろしさは、世界遺産として登録されている原爆ドームに象徴的に示されている。9日に長崎に投下されたファットマン原爆は、広島と違ってウランではなくプルトニウムでつくられた原爆である。この原爆には6.2kgのPu239がつかわれ、実際に核爆発を起こしたのは800gとされている。それでも、7万4千人の死者をだすほどの威力をもっていた。
 原爆は確かに戦争で相手国の人を殺傷するためにつくられた武器(核兵器)であるが、原発から生みだされるプルトニウムや放射性廃棄物は核兵器にもなりうる人を殺傷することが可能な物質であることは間違いがない。原子力防災研究所の看板を掲げるカバは、大震災と復興の歴史と教訓、脱原発と今後のエネルギー政策を研究する会合に出席するため、7日仙台に新幹線で出かけた。仙台は七夕祭りが6日から始まったばかりとあって、日曜日の午前、駅前広場から東一番町にかけて、もの凄い人出であった。頬にかかる七夕飾りの吹き流しの感触を楽しみながら人をかきわけ歩かなければならなかった。今年の仙台七夕祭りは、カバが若いころ、すなわち学生であった頃と同じような活況を呈していた。そういえば、昨夜の青森のねぶた祭も夜の運行最後とあって、土曜日と好天に恵まれたこともあって、60万人という人口の2倍もの人出であった。こうした現象こそ、祭りそのものの復興というよりは、犠牲者への鎮魂と復興をねがう東北人の祭りこめた思いと願いが伝わってくる感じがした。
 カバはこの頃、実によい友だちを持っていると実感している。長島小学校、甲田中学校、そして青森高校のそれぞれ同級生、同期生の友だちたちだ。カバの友だちだけでなく、同い年の女房の同級生とも交流をもっているのはつくづく幸せだと思う。そのなかのひとりの小学校の同級生で、中学・高校も一緒だったヨっちゃんが、ここ数年、毎年8月7日の夜、自宅と自宅向かいの合浦公園となりの岩礁の土手に机と椅子を並べ小宴を開いてくれている。今日も、合浦の海を横目に、花火大会とねぶたの会場運行を楽しんできた。牛のサガリの焼肉とホタテ貝を食べ、生ビールをジョッキでたらふく飲んだ。
 たしかに相馬町の合浦の海から眺める花火は臨場感には多少乏しいが、それでもアオモリベイから打ち上げられる花火を正面から見ることができ、毎年、岩礁公園の堤防土手に集まる人は増えている。ただ花火や会場運行を眺めるだけでなく、1年ぶりで会うヨっちゃん家族親族と再会して元気な姿を見るのもうれしい。そして、毎週のように会っている友人でも、8月7日の宴はまた特別だった。62歳、これからの人生を大事に精一杯生きようとお互い確認する場だからだ。

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