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2011年8月6日土曜日

遙かなるチェルノブイリ

 カバは2002年7月にチェルノブイリ原発(1986年4月26日に4号炉で大事故を起こした)を見に行った。7月5日、カバは同行した青森・チェルノブイリ支援子供ネットの人たちと一緒に、原発事故によって無人の廃墟と化した原発従業員とその家族の街プリピャチ市に代わって、1988年に旧ソ連が建設した人口2万7千人のスラブスチ市の駅からチェルノブイリ原発へ向かう電車に乗った。スラブスチ駅からいまなお事故の終息がされていない4号炉と原発事故後廃炉が決まった1号炉から3号炉までの解体作業が続けられているチェルノブイリ原子力発電所の終点駅までは、ちょうど48分の距離だった。途中、ドニエプル川を横切ったあとの荒漠とした沼沢地、疎林、そして雑草地と折れた電柱と廃棄されたままの電線はまさに地獄絵のようにカバの目に映った。
 4号炉の放射能の遮蔽をするための石棺作業展望所を見学し、ガラス張りの部屋なのに放射能検知測定器が音を立てている中での説明に腰が引けたカバだった。プリピャチ市には猫一匹、カラスの一羽もいなかった。あるのは無人の労働者住宅と朽ち果てた観覧車だけだった。
 あのとき、日本の原発がなくなるまで頑張ろうとカバと一行は誓った。しかし、日本の原発は安全だから大丈夫との声に私たちの誓いはかき消され、当時32基だった原発は、54基にまで増えた。カバは、それならと原子力防災の旗をかかげ、事故は必ず起きるから、備えを万全にと訴えてきた。何冊も共著だったが、啓蒙のための本も出した。しかし、推進側の人からは「事故など起こり得ないのだから、原子力防災など無駄だ」と言われ、反対の側の人からも「原子力防災は原発を容認するもの」として一顧だにされなかった。
 3月11日の大震災によって引き起こされた福島第1原発事故で国民の7割が脱原発を支持しているということだ。これは大変結構なことである。しかしである。大事なことが忘れられてはいないだろうか。
 仮に、あす54基の原発をすべて止めたとしても、すぐに廃炉解体できるわけでもない。放射性廃棄物や解体廃棄物の問題がある。やっかいな使用済み核燃料も残ったままなのだ。脱原発が完全に実現するまで、すくなくても高レベル放射性廃棄物が地球を汚染しなくなるまでは原子力防災が絶対に必要なのだということだ。そのことをもっと真剣に考えてもらいたい。高レベル放射性廃棄物の管理は数百年も要するということを知ってほしい。その間は、原子力防災が必ず必要となるのだ。核兵器に使えないプルトニウムの管理もやっかいな問題となる。すでに、日本は40トン近くの放射性プルトニウムを保有する准核保有国なのだから。
 チェルノブイリ原発が事故後25年たったいまなお4号炉はおろか、事故のなかった1から3号炉の解体作業も遅々として進んでいない現実をみるとき、単に福島第1原発の1号から4号炉のみならず、その他の50基の原発の解体廃炉に要する費用を日本国民が税金で負担するとなるといったいいくらかかるのだろうか。そして、放射能の不安なく、原子力防災をきちんと施して、今後数十年から百年の間にかけて粘り強く解体撤去に持ち込めるのだろうか。そんなことを考えるとカバは暗澹たる気持になる。
 カバはあえて言いたい。脱原発は大いに賛成だ。すぐにでもやらなければならない。しかし、これからはいままでのツケを倍返しで払っていかなければならない時代になったということだ。その覚悟が国民に求められている。いまこそ、いまある放射性物質と真剣に向き合い、本当に原子力防災のことを考えなければ日本は滅びるということを、103年前に書かれた夏目漱石の『三四郎』を読みながらカバは肝に銘じているのだ。

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