カバはねぶた馬鹿である。カバの祖父は、提灯屋でねぶた師でもあった。しかし、なぜか父はねぶたに関係のない人だった。でも、カバの母が昔勤めていた会社は、今年も65年連続でねぶたを出している。つまり、カバが生まれる3年前からだ。もちろん、7年前に亡くなった母もねぶた好きだった。そんなわけで、カバは生まれた翌年、すなわち1歳のときに母に背負われて、ねぶた小屋に顔をだしてから、ずうっとねぶたに参加してきた。つまり、今年が62回目のねぶただった。
だから、毎年7月になって街にねぶた囃が流れると自然に血が騒ぐ。血が騒ぐだけでなく、体全体が自然にねぶた囃に呼応するのだ。そして、8月2日にねぶた祭が始まると居ても立ってもいられなくなる。
母が会社を辞めた夏、カバは仙台にいた。もちろん、夏休みで帰省していた。38年前のことだ。4日連続で花笠をかぶって跳ねたカバは、6日の夜の小屋で田村麿賞を逃し泣いているねぶた師、(彼は前年、別の会社のねぶたで田村麿賞をとっていた)を慰めている母をみて、いっしょに泣いているのだと思ったものだ。
母が辞めてからカバはねぶたで跳ねるのを止めた。カバは昭和50年に帰郷してからはねぶたを鑑賞する側にまわった。そして、カバは母と一緒に会社のねぶたの応援をつづけ、ねぶた師のつくるねぶたに勇気づけられた。た。そのねぶた師は昭和61年まで会社のねぶたを作り続け、昭和57年と59年には田村麿賞をとったのだった。カバの祖父は名人にはなれなかったが、カバと母が愛したねぶた師はついに名人の名をほしいままにした。
今年もまた、8月4日じっくりと練り歩くすべてのねぶたを観た。しかし、あの伝説のねぶた師のやうな魂をふるいたてられるようなねぶたにはお目にかかれなかった。残念としか、いいようがない。

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