カバの高校の同級生にアマチュア落語家がいる。名前を波之丞という。彼は仙台で浪人して、そのまま翌年東北大学の文学部に入った。しかし、折からの大学紛争に巻き込まれたのか、自ら進んで革命にのめり込んだのかはわからないが、とにかく川内の教養部から片平の学部に進級したという話はきかなかった。
カバが秋田から青葉山の大学院に進んで、辛夷咲く片平の研究所に研究室が決まった時、まだ学内は騒然としていて、各セクトによる鍔迫り合いも依然として激しかった。しかし、順調なら4年になっているはずの波之丞の姿を片平はもちろん、川内キャンパスにも見出すことはできなかった。同じ同級生でカバがアインシュタインに似ていると尊敬していた、理学部で数学専攻のY君も仙台にいたが、彼も3年のまま留年していた。
カバはY君の大学病院近くの食事なしの下宿で波之丞の消息を聞いた。現役組は皆、卒業していたし、同期で知り合いはY君と波之丞しかいなかった。Y君が波之丞に連絡して、カバの歓迎会をやってくれた。Y君の部屋で開いた小宴に長髪の波之丞が遅れて現れた。波之丞は相変わらずひょうきんな男で、南部弁交じりの変ななまりで冗談とも皮肉ともつかない言葉を吐いては、自分自らおかしそうに笑っていた。「アルバイトで忙しいのと女友達がはなさないので、大学に行くヒマがない」と自慢げに話して、真面目なY君を煙に巻いた。
カバはそれから何度か、波之丞の引っ越しにY君とともに付き合わされた。引っ越し魔の波之丞にはリヤカー1台分の荷物しかなく、元のアパートでは前の女が涙を流し、先のアパートでは新しい女が笑って出迎えた。そんな光景を見せられても、カバはY君と顔を見合わせて、それが波之丞のいいところだよな、と妙に感心したものだった。
カバは3年近く仙台にいた。その間、カバが人恋しくなってY君を訪ねると彼はいつも部屋でじっとしていた。反対に、波之丞はいつも不在だった。結局、大学に残り、数学者になろうとしていたY君も、3年努力したけれどついに卒業することなく、カバの後を追うように郷里の青森に戻ってきた。居所がわからなくなっていた波之丞は、その後もずうっと仙台にとどまり、結婚して子供までもうけたようだった。
波之丞は三十年以上も前に、仙台の国分町に居酒屋を開き、持ち前の話術で結構人気を博していた。カバも仙台に出張の時とか、息子の野球の試合とき、波之丞の店に顔を出した。焼売屋の角を路地に入ったところのビルの二階のカウンターだけで10席がせいぜいの狭い店で、彼はいつもひとりで客の応対をしていた。
波之丞は毎日、開店の準備や店が暇なとき、ラジオやカセットで落語を聴いているうちに、古典落語がいつしか暗記でき、それを自分なりにアレンジできるようになったという。そして、二十年ほど前から老人施設に慰問に出かけ、落語やしゃべくり漫談で老人たちを笑わせることができるようになった。それからというもの本格的に落語を勉強し始め、いまでは素人落語家として古典落語のレパートリーも百を超えている。最近は弟子もでき、波之丞一座として公演までするようになったのだ。
波之丞の芸が本物に近い、否、本物だとカバが思うようになったのは、彼がパチンコ屋のテレビ宣伝に出てからである。最初、紋付姿で高座にあがって扇子片手に得意そうにしゃべっている男をみて、カバはすぐに波之丞だと気づかなかった。しかし、パチンコ屋の宣伝は夜の遅い時間、天気予報で終わる間際に何回も入ったので、よく見るとまぎれもない波之丞そのものだった。しかも、その宣伝が功を奏したのかどうかはわからないが、一度ならず、二度、三度と内容を変え、姿形話術にも少しずつ磨きをかけて、テレビのバチンコ屋の宣伝に登場するようになった。噂に聞いたりテレビコマーシャルを視たカバの同級生たちも、波之丞のことを口するようになった。
波之丞がさらに有名になったのは、3月11日の大震災以降である。彼は、さっそく波之丞一座を引き連れて避難所の慰問を始めたのである。仙台市をはじめ宮城県は大震災と津波で大きな被害を受けた。波之丞は被災者とその家族を彼の仲間とともに落語の笑いをとおして慰め鎮めようと寸暇をおしんで走り回っている様子がテレビで全国放送されたからだ。
波之丞の落語は、仙台や宮城県から岩手県、福島県へとひろがり、そして六月には青森県の弘前でも万作が咲くので有名な蕎麦屋を会場として高座が開かれた。もちろん、カバは波之丞の落語を聴きに、友人のK君、M君、そしてS君とともに星降るメイプルタウンまで出かけた。急拵えの高座に座った波之丞は、弟子の前座の落語のあと、休憩をはさんで「太鼓持ち」と「寝床」を演じたのだった。日頃、口さがない友人たちも、波之丞の芸にあっけにとられたようで、口々に「うまい」、「すごい」、「玄人はだし」と絶賛したのだった。
話はそこで終わらない。波之丞の公演を青森でやろうということになった。日にちも決めた。10月15日、新町の旧翁屋ホールでやりたいということになった。波之丞本人も、大いに乗り気であった。そのとき、彼は同行の追っかけマネージャー氏の顔をみて、首を傾げて、「運が良かったらにしてくれ」と言った。
マネージャー氏によると、こうである。「波之丞の居酒屋の常連客と落語のファンたちが、彼を仙台の市議会議員に担ぎ出そうとしている。波之丞自身も出馬にまんざらでもなさそうだということだった。それで、実際に8月の選挙に出馬するとなれば、選挙に運良く勝てば青森に来てもいい」という話だった。
62歳の波之丞がいまさら選挙なんて、カバはそう考えていた。しかし、あれほど政治がきらいで、選挙にかかわらないで、落語で笑い飛ばす、と語っていた波之丞がやはり出馬することになったとの電話連絡を受けたカバは選挙日程を調べてみた。確かに、8月19日告示、8月28日投票日である。これは、波之丞のやつ本気だな、と思った。
カバは波之丞の七変化を見てみたいと思った。青森での落語会もそうだが、彼が仙台市議会でどんなしゃべくりをするのか、見て聞いてみたくもなった。カバの友人たちも同じ思いなようで、事務所開きに駆けつけようと皆久しぶりに燃えている次第である。
さて、波之丞変化の結果や如何に。

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