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2019年11月9日土曜日

11月9日、喪に臨んで哀しまずんば、吾何を以て之を観んや。

 今日は11月9日、土曜日です。昨日は、劇団支木の公演があり、6時20分に家をでて、久しぶりに演劇を観ました。1945年7月28日の青森空襲が始まる夜、祝言をしている割烹加味屋の宴会場が舞台でした。私の予想に反して、300人入るアウガのホールは立ち見もでるほどの盛況ぶりでした。作・演出の田辺さんから買ったチケットを見えなくし、大騒ぎしましたが、幸い手帳に挟んであったのがわかり観劇とあいなりました。「祝言の夜」という題と青森空襲を重ねたことの意味はよくわかりますが、反戦の意図は伝わりましたが、もっと少人数の配役で、ひとりひとり人生を語らせる方が良かったような気がしました。ちょっと、あれこれ詰め込み過ぎで消化不良になっているようでした。アウガを出ると、9時の時報でした。氷雨が雪に変わりそうでしたが、とり平に奥さんの自転車が置かれてありましたので、ちょっと顔を出したところ、案の定、奥さんが笑顔で迎えてくれました。27日にいれた焼酎が無くなったので、1本入れて、いつものハツを食べて2,500円払って家に帰りました。途中、鶴亀食堂の前を通り、暖簾越しに中をのぞくと客がいたので、安心して寄らずに帰りました。浪道での帰り途、とり平、鶴亀食堂、中央タクシー向いの1本何でも90円の焼鳥屋(持ち帰り専門)が必ず気になります。

 今日は議事録作成のつめをして、午後から日課と川柳をやり、それから新しい日課のッ二つの小説を書きついでいくつもりです。当分は、一階の私の室にデスクトップのPCと新しいノートパソコンの2台を駆使し、日本語辞書(広辞苑)と百科事典(エンカルタ)で調べながら、場合によってはグーグルで検索することにしたいと思います。
 この頃は、買物は私、炊事は輝代さん、ごみ捨てと石油ストーブの灯油交換など雑用はわたしという具合に分担を決めてやっています。

 今日の論語は、論語八佾第三篇第26章第2節です。
 第2節;孔子が言います、「父母の喪にいて哀しまないならば、既に上におり、礼を行ない、喪にいる根本の精神が欠けているのであるから、わしは何事をもってその行うところの得失を観よう。まったく観どころがないのである。」と。

 今日で論語八佾第三篇は終わりです。あしたからは、里仁第四篇です。里仁第四編は全部で26章あり、初めの7章は仁のことを言い、あとは多く学のことを述べています。

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