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2019年1月12日土曜日

1月12日、竊かに我が老彭に比す

 今日は2019年1月12日です。新年になって早いものでもう10日あまり、三連休の土曜日です。昨夜は五所川原へ行って、旗びらきに出てきました。井上浩さんの五所川原市議選も13日告示、20日投開票です。彼は4年前、再選を果たし、議員と議会活動の傍ら、母校の弘前大学の修士課程も卒業しました。奥さんと二人で、選挙運動をしている井上さんを見て、羨ましいと思いました。4年前のことを思い出したのです。でも、あのとき女房の決断がなければ、いまの私たちの穏やかな生活はなかったと思えば、70歳からの私の人生のためにもこれで良かったと思うばかりです。その決断とは、選挙にでることは一度だけ許す、当選すれば、選挙から抜け出せなくなる。だから当選しないように、選挙運動はしない、あくまで事務所の下働きで協力するだけにするというものでした。女房は親弟と親類縁者が多く、もちまえの明るさと人当たりの良さで、私よりはるかに集票能力の多いのは、わかっていたのです。女房が井上さんの奥さんのように親戚知友人のところを一緒に回ってくれさえいれば、私の倍以上の得票が可能だったことはわかるのです。
 井上さんも奥さんの出身地である五所川原の市議会議員選挙に出て、みごとに初当選したことによって、政治という選挙の泥沼から抜け出ることができなくなったのだと思います。しかし一方の私は、「落ちるべくして落ちた」ので、4年後の昨年秋の選挙に出なくて済みました。あれで当選していれば、私は井上さん以上の泥沼、いまの社民党の現状をみれば、いいように選挙に出され、いやそれだけでなく一家離散の憂き目にあっていたと思います。それだけに、今では女房の懸命な決断に感謝します。そういうことからいえば、1991年の知事選挙に出た金澤先生、そして同じ年に浪岡町役場を退職して県議選に出た古村さんのその後の28年をみれば、人生の先達の生きざまからも落選と当選の意味は明らかです。金澤先生はその後一切の選挙に出たことはありません。核燃白紙撤回を掲げたのに、県民の民意がそれを選択しなかったとして、反核燃の運動の第一線から身を引かれ、その後の28年は憲法を守る活動に一身を捧げているのです。古村さんは、県議落選後、連合青森を経て、浪岡に戻り、町議選に出て、当選後、町議2期、町長1期、県議3期と6回の選挙に出て、全勝しました。今年の県議選に出ることはなく、リンゴづくりに専念するといっていますが、はたしてそうなるか、わかりません。
 
 今日の論語は、論語述而篇第1章「竊かに我が老彭に比す」です。
 竊比於我老彭、
 Qiè bǐ yú wǒ lǎo péng,
 窃比於我老彭,
 竊かに我が老彭に比す、
 「自分をひそかに殷の時代の賢人の老彭になぞらえている」です。

 

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