今日の論語一日一章は、巻第一為政第二篇1章です。
子曰、爲政以德、譬如北辰居其所、而衆星共之、
Zǐ yuē, wéizhèng yǐ dé, pìrú běichén jū qí suǒ, ér zhòng xīng gòng zhī,
子曰,为政以德,譬如北辰居其所,而众星共之,(為政1)
「子曰わく、政を為すに德を以てすれば、譬えば北辰の其の所に居て、衆星のこれに恭するがごとし。」
(孔子がいわれた、「政治をするのに道徳によっていけば、ちょうど北極星が自分の場所にいて、多くの星がその方に向かってあいさつしているようになるものだ。」と。)
註6 (竹川弘太郎『孔子』P151)
「論語」為政02;02-01 子曰。爲政以徳。譬如北辰居其所。而衆星共之。
子曰く、政を為すに徳を以てす。譬えば北辰の其の所に居て、衆星の之に共うが如し。ここで、政 … 政治。
徳 … 道徳。または有徳者。
譬如 … たとえば~のようだ。
北辰 … 北極星。
衆星 … 多くの星。
共 … 新注では「共は向なり」とし、「共う」と訓読する。
吉川幸次郎はここを「星たちがその方向に向かっていると説く朱子の新注の説は共の字の訓詁として適当でないであろう」と言っている。(吉川幸次郎『論語 上』朝日選書)
古注では「共」は「拱」の仮借であるとし、「拱」は説文に「手を斂むるなり」とあり、拱手する姿勢(両手の指を胸の前で組み、礼をすること)であるとする。この場合は「共する」と訓読する。
之 … 北辰をさす。
為政以徳 ;
… 宮崎市定は「為政以徳の四字は恐らく古語で、有徳の君主の政治のあり方を言ったものであろう。そのような君主は別にあくせくと動きまわる必要がなく、百官や人民が君主の意を体してそれぞれの業務に励むものなのである。そのさまは宇宙の星が北極星を中心として回転するような状態さながらである」と言っている。(宮崎市定『論語の新研究』岩波書店)この章の岩波『論語』の金谷訳はこうです。
―先生がいわれた、「政治をするのに道徳によっていけば、ちょうど北極星が自分の場所にいて、多くの星がその方向に向かってあいさつしているようになるものだ。」と。
つまり、孔子は「(為政者が政治をおこなうときに徳政をおこなえば)人心はすっかり為政者に帰服する」と言っているのです。
解説はいらないと思います。ただ問題になるのは、どうすれば「徳を以ってする」ことができるかです。徳、すなわち、道徳をもって政治を行うとはいったいどういうことなのだろうか、ということです。
宇野哲人の『論語新釈』によれば、この章は徳治主義の効果を述べたとされ、「上に立つものがまず己の身を正して下を率いるというのが儒教の主義である」としています。
北辰は北極星のことですから、十二支についても復習します。
子(ねずみ)、丑(うし)、寅(とら)、卯(うさぎ)、辰(たつ)、己(へび)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(にわとり)、戌(いぬ)、玄(いのしし)と書きます。

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