東通原発の周辺住民の避難計画の現況を調べているうちに、大変なことがわかってきました。それは、UPZ30キロ圏内にすむ7万3千人の住民の人たちは、万一東通原発で過酷事故が発生し、それが重大事故となって原発の敷地外へ大量の放射線をまき散らした場合、避難先の青森市や弘前市へ到着するまで、一週間もかかるということです。しかも、これは積雪寒冷地である青森県の冬期間を想定したものではありません。陸の孤島は、下北半島はおろか、青森市にも及ぶことが十分に想定されます。パニックに陥ることは必定です。そのことを見越して、今回の原子力規制委員会の原発や原子力施設のバックフィット規制基準に原子力防災対策が含まれなかったといっても過言でないでしょう。
このことは、鹿児島県の川内原発の再稼働の規制基準の適合審査をみても明らかです。原子力防災の実効性の審査も規制基準に加えるべきです。
しかも、5万9千人の避難者受け入れ先である青森市の避難所の選定、配置が決まっていないというのが現状です。万一、東通原発の事故が六ヶ所再処理工場や核燃サイクル施設にも飛び火して複合事故になった場合は、もっと恐ろしいことになるのです。
そんなことを考えていると、夜も眠れないほど、将来が恐ろしくなります。他国から戦争をしかけられると心配する前に、自国の原発や核燃サイクル施設における重大事故を心配し、その防災対策をしっかり講ずることが先決ではないでしょうか。
1991年の知事選挙のとき、前年からの選挙戦で、核燃白紙撤回を掲げ、敢然と知事選挙に立候補した弁護士の金澤茂先生は、どの政党にも所属しない一市民であった。科学の人類に対する貢献は否定しないものの、核燃と原子力は人類に未来に共存しないとの考えから、同級生の寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の句を引用して、豊かなふるさとの大地と自然を核燃マネーに売り渡してはならないと訴えました。
原発や核燃サイクル施設は絶対に放射能を施設外に放出して公衆に被害を与えることはないと、それこそ官民一体となって県民を騙しました。騙された県民は、核燃サイクルと共存する道を選択し、幾多の変遷を経ながらも、2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故を経験した今日においても24年前の誤った選択を心から悔いてはいません。金澤弁護士のあのときの正しい主張を、過去にさかのぼって自らの選択が間違いだったと詫びる人もいません。皆、知らんぷり、能因を決め込んでいるのです。
青森市民と青森県民は、1991年2月4日に確かに選択を誤ったのです。そのことの反省と後悔なしに、これからの青森市と青森県の未来はありません。これからの歴史において、大いなる汚点として残ることは間違いがありません。

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