4時半に二人と別れ、新町事務所で7時まで書類の整理やらブログの書き込みをして、家へ帰る途中、とり平に30分寄って、8時前に家へ着きました。
『プルトニウム』
1941年のプルトニウム分離[1]に貢献したグレン・シーボーグも、この奇跡の元素については雄弁だった。ダニエル・フォード(「憂慮する科学者同盟(UCS)の研究者」)によると、シーボーグは核の聖職者集団の信心深い一員になるにふさわしいような一種の宗教的傾向をもっていたという。
シーボーグの考えでは、文明の将来は、エリート集団を形成する核科学者の手に握られており、彼らが「テクノロジーによる新しい世界を築く」ことになるということだった……。
シーボーグの中心的な関心は……原子力による豊饒という夢にあった。原子力の利用に関する彼の構想によると、原子力は産業社会を現実の束縛から永久に開放できる魔法の薬だった。無数の家庭がただ一つの大きな原子炉から暖房と照明を得る……。砂漠に花が咲き、海水が飲料水になり、川は流れを変える。こうしたことすべてが、彼が発見した奇跡の新元素によって可能となる「地球工学」のおかげで実現すると彼は予言した……。原子力で動く地球・月間往復便、人工心臓、スキューバ・ダイバー用のプルトニウム暖房潜水服、その他もろもろの物が登場するだろう……。「私の唯一の心配は、自分が(プルトニウムの)可能性を過小評価してしまっているのではないかという点だ」とシーボーグは述べた[2]。
後に述べるように、環境や安全保障の面でプルトニウムが生み出した長期的遺産は、この予言とはかなり様相を異にする。黄金の探求が南北アメリカ大陸の各地に悲劇の後を残したように、プルトニウムの探求も多くの悲劇を生み出してきた。その一部については、われわれは今日に至るまで対処の方法を知らないのである。
米国でプルトニウムが初めて作り出された1941年以来、大量のプルトニウムがいくつかの国に蓄積されてきた。第二次世界大戦中およびその直後、米国は核兵器を貯め込むためにプルトニウムの生産を非常に急いだ。第二次世界大戦の直後、核兵器用プルトニウムの生産に向けた突進劇にソ連が加わった。今日では、英国、フランス、中国、それにイスラエルもプルトニウムの入った核兵器を保有している[3]。インドは1974年にプルトニウムの入った核装置を爆発させており、現在も核兵器の製造に使えるプルトニウムを保有している。
非核保有国もまた、民生用原子力発電計画のためにプルトニウムを備蓄している。中でも備蓄量の大きさで注目されるのはドイツと日本である(1992年現在のところ、ドイツとプルトニウムの大半は英国とフランスにある)。
※日本の2012年末のプルトニウム全保有量は、約44.9トン(このうち34.9トンが英国とフランスにあり、国内には約10トン)に達している。
プルトニウム問題が安全保障や環境の面でもつ本当の重要性は、最近になってやっと明らかになり始めたばかりである。冷戦の終結とともに、プルトニウムの生産が環境や健康におよぼした影響に対処することがいかに困難で費用のかかるものであるかが検討され始めている。これからどんなに努力したとしても、プルトニウム生産のもたらした環境問題や健康問題の多くは、間違いなく将来の世代に譲り渡されることになるだろう。

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