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2015年10月18日日曜日

10月18日、蔵沢の竹も久しや庵の秋

 10月18日、今日もまた小春日和の好い天気です。今日は、社民党の国政報告会とレセプションです。その前に、友人の絵画展を見に行くつもりです。
  結局、魯迅箴言が進まず、昼に途中で打ち切らざるを得なくなりました。急いで風呂へ入り、インスタントラーメンを食べて出かけました。友人の絵画展が開かれているのが、春と同じ文化会館だということを忘れ、市民美術展示館へ間違って行ってしまいました。市民文化祭の作品展示が行われていました。写真展だけ覗くと、素人デジカメの仲間の池田さんがおり、彼の作品に優秀賞の札が張られていました。急いで文化会館の創元会の会場へ行くと、中央の壁に飛鳥さんの絵が飾られていました。前作がくすんだ壁色だったのに比べ、今回の作品は温かみのある壁色でした。それだけで成長の跡が感じられました。穏やかで気品のある作品でした。

 
 他にもっと信頼できるエネルギー源があることを考えれば、プルトニウムの国際取引につきまとう危険をあえて冒す価値があるとは思えない。核兵器に使える物質が通商の流れの中に入ってくれば、たとえそれがエネルギー生産のような民生用の目的のものであったとしても、核拡散防止の努力の妨げになるであろう。

 日本の市民および政府は、核兵器の生産には絶対反対の姿勢を貫いてきた。このことは、世界からこの前例のない脅威をなくそうとしているすべての人々の深い尊敬を勝ち得ている。しかし、核兵器の生産に必要なすべての技術をもった国が、核兵器にすぐ使える材料を蓄積し続けている事実を前に、何十年も先のことを誰が保証できるだろうか。

 20世紀が終わろうとしているいま、はっきりいえることは、歴史は予言できないということだ。ドイツが、あのもっとも進んだ文化を具現する国が、前例のない蛮行を尽くしジェノサイドを工業的なかたちで行なおうなどということは、それが現実のものになるまでは、想像することさえ異常だとみなされたことだろう。受け入れることのできない事態が起きてしまう可能性を、歴史の気まぐれにゆだねて残しておいてはならない。医学は、治療方法のない病気は予防しなければならない、ということを教えている。

「あかつき丸」の航海は、国際的な論議を呼び、日本のプルトニウム政策について心配する声が世界中で上がっている。本書『プルトニウム』の出版によって、日本の人々のあいだで議論が高まり、日本がその政策について再検討を進めることになることを願ってやまない。

 本書『プルトニウム』は長年の調査研究の産物であり、プルトニウムのもつ危険の概略を注意深く説明したものだ。また、すべての国に当てはまる一連の政策を勧告している。もっとも重要な勧告は、「プルトニウムは、資源としてではなく、危険な廃棄物として扱うべきである」というものだ。つまり、この「核時代の恐怖の黄金」(原書の副題)と人類の関係を根本から検討し直さなければならないということだ。なぜなら、プルトニウムの魅惑的な外貌の陰には、人類全体に対する測り知れない脅威が潜んでいるからだ。

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