三沢の廣澤牧場旧会津藩士廣澤安任のことを、新城の佐々木高雄さんから聞きしました。
廣澤安任; 広沢庄助の次男。文久2年(1862年)、会津藩主・松平容保は京都守護職に任ぜられ、安任は先んじて上京し京都の情勢を探った。容保上京後は公用方に任ぜられ、公卿、諸藩士、新選組などと交流を持った。鳥羽・伏見の戦いの後、江戸そして会津に戻った容保らの立場を新政府に嘆願するため、江戸に残ったが新政府軍に投獄された。明治2年(1869年)に釈放されているが、これは親交のあった英国外交官アーネスト・サトウの進言があったと言われている。
佐々木さんからは、もう一人彼が影響をうけた人物として詩人の村次郎を紹介されました。
村次郎;
詩人・村次郎は、1916(大正5)年、 三戸郡鮫村(現・八戸市鮫町)の石田家旅館の長男として生まれました。 慶應義塾大学でフランス文学を学び、詩誌「山の樹」を中心に作品を発表。中村真一郎や芥川比呂志、
小山正孝らとともに活躍し、将来を嘱望されました。
戦後、応召先の中国から八戸に帰還、「あのなっす・そさえて」を設立して郷里の文芸復興に努めま
した。詩集『忘魚の歌』(昭和22年) 『風の歌』(昭和23年)を刊行しましたが、昭和27年、実家・石田 家旅館の再建のため、家業に専念し、文学活動から離脱することを決意します。しかし、その後も県内外の文学者・文化人の尊敬を集め、棟方志功や草野心平との親交はよく知られ
ています。また、夏堀正元や三浦哲郎をはじめ、郷土ゆかりの作家にも大きな影響を与えました。郷里の自然と風物を愛した村次郎は、文学にとどまらず、言語学、民俗学、大須賀海岸の自然調査、
漁業など、幅広い分野に造詣が深く、生涯にわたって調査研究を続けました。
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