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2015年8月14日金曜日

8月14日、草の戸や月明かに魂祭

 8月14日、午後になって雨となりました。だいぶ涼しくなってきました。雨の中、年金を払い出ししに銀行へ行ってきました。15日が土曜日なので、今日14日が2カ月に一度の年金支給日なのでした。年金が唯一の収入源なだけに、雨も恵みのように感じられたのでした。
 昨日の墓参りはいつもと違い、三内霊園まで渋滞は緩和されていました。10時半に家を出て、30分ほどで霊園内の我が家の墓の真下の道路に駐車することができたのです。仏舎利堂の東側、鐘撞堂の南脇に墓の周りには誰もいませんでした。カバは女房と墓石のまわりの雑草をとり、墓前に供花し、線香を焚いて、家内安全を祈願しました。ほかに二カ所の墓参りを終えて、生協で買い物をして家に戻ったのは、1時を少し回っていました。
 昨日の昼は、高山稲荷神社にもらったソーメンでした。お腹がすいていたせいもあり、冷やした麦茶でのどをうるおし、とてもおいしかったのでした。今日の昼は、昨夜の宴会で飲みすぎて、遅く起きた関係で、11時過ぎに朝昼兼用で昨日の残り物をおかずに食べましたが、いつもより多めにお米を食べました。そういえば、昨日の朝はパンだったので、二日ぶりの米飯だったのでした。朝方の二日酔いも醒めたせいもあり、不思議に食欲がわいてきたのです。

 孔子は、学問の道を志す者に、粗衣粗食をすすめ、悪食悪衣を戒めています。カバはその点まだまだです。粗衣には異論もなく、問題ないのですが、決して飽食、悪食ではないのですが、腹八分目、六分目が難しいのです。ついつい満腹になるまで食べてしまいがちです。温良恭倹譲の五徳のなかで、とくに食の倹約が苦手なのです。これでは、学も文学の道も進みません。真面目に努力し続ける以外に道はありません。清貧の思想を説いた中野孝次が15歳から論語に親しみ、「巧言令色鮮し仁」や「一箪の食、一瓢の飲」とか、「己を行うに恥あり」の言葉が忘れられずに、論語によって「人生如何に生きるべきか」を学んだと述懐していることがよくわかります。

 魯迅はこういいます。
 「回复故道的事是没有的,一定有迁移;维持现状的事也是没有的,一点有改变。有百利无一害的事也是没有的,只可权大小。」(もとの河筋に戻ることはなく、必ずや移りゆくものだ。現状が維持されることもなく、必ずや変わりゆくものだ。百利あって一害なしということもなく、ただ利と害の大小が測れるだけだ。)
 

 

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