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2015年1月6日火曜日

五徳の道と学を好む道

 朝起きて、子規歳時のその日の句を詠み、魯迅箴言の箴言の発音を諳んじ、論語を一章でも読み解くことから始めています。とくに足かけ8年に及ぶ闘病生活の中で、多くの作品を残した正岡子規に惹かれています。
 午前中は、それであっという間に過ぎてしまいます。昼食後は、歴史の勉強です。いまは、大正期の帝国日本の模索時代のところです。やはり、幕末から維新前後の人物像に魅力を感じています。
 夕食後は、小説を書こうと思っているのですが、満腹になると眠くなることから、論語(孔子)の教えに従って、飽食にならないように、お腹をすかせるようにしたいと思います。
 『論語』の第1篇「学而第一」の第10章にある五徳、すなわち、温(穏やかで刻薄でないこと)、良(やすらかで素直なこと)、恭(心が慎み深くて、外貌のおごそかなこと)、儉(節制のあること)、譲(けんそんなこと)の五徳の実践とあわせ、同じ「学而第一」の第14章にある学を好む君子の道(すなわち、「食を飽くことを求むるなく、居安きを求むることなく、事に敏にして言に慎み、有道に就いて正す」こと)を進むことの難しさを実感している毎日です。
 でも、何故か心穏やかに、躰も健やかにいられるのは、不思議な感じです。




魯迅は、こんな箴言を書いています。



魯迅箴言

 

11 勇者が怒れば、刃を抜いてより強い者にたち向かう。臆病者が怒れば、刃を抜いてより弱い者に向かってゆく。救われぬ民族には、きまって少なからぬ英雄がいて、もっぱら子どもにのみ睨みを利かせる。この臆病者ども!

  ―現代日本に真者がいるのでしょうか。カバには臆病者が多いように思えます。

 

12 卑怯な人間が、万丈の怒りの炎を燃え上がらせようとも、弱い民草のほかに、何を焼き払えるというのか?
  
  ―今や、日本国民は、万丈の怒りをどこに捨て、どこの抑え込んでしまったのでしょうか。弱い民草として焼き払われてしまったのでしょうか。

 

13 揶揄、からかいで敵をあしらうのは、ひとつの有効な戦法だが、その突くところは、必ず相
手の致命傷でなければならない。さもなければ、揶揄は単なるからかいでおわってしまおう。

  ―まもなく通常国会が始まりますが、いまの野党の政治家に為政者を本気でからかい(揶揄)であしらうことができる人がいるのでしょうか。国民をなっとくさせるだけの為政者にとって致命傷となるような揶揄を発せる政治家が必要だと思います。

 

14 同じく現状に不満でも、現状打破の手段は大いに異なる。ひとつは革新、ひとつは復古。

  ―民主党政権に対する不満が向かった手段は復古でしたが、いま安倍政権に対する現状打破の手段は、こんどこそ革新でなければならないと思うのですが、いったらいつになったら国民の不満が渦巻くのでしょうか。

 

15 かつて勢力があった者は復古したがり、今まさに勢力がある者は現状を維持したがり、勢力がなかった者は、革新したがる。ほぼ、そんなところだ。ほぼ!

  ―かつて勢力があった自民党は安倍晋三によって政権奪取と復古をかちとり、長期政権を目指し、現状維持のために昨年末の解散に打って出て成功しました。しかし、現状維持はいつまでも続きません。国民の多くが現状打破に立ち上がる日はきっと来るはずですが、その前に日本が沈没しないことを祈るばかりです。

 

 

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