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2013年10月3日木曜日

ミヨちゃんの死

 今朝は6時半に起きました。7時半まで新聞を読み、7時半から「ごちそうさま」と「こころたび」を観て、朝食を食べ、8時半から10時半までの約2時間、「昌平の仕事」を執筆にあてました。
 今日は午後1時半にGEAでニュースレター発送の手伝いを工藤弘毅さんから頼まれましたし、夕方6時半から千成寿司で小学校からの友人のヨッチャンと会うことになっています。
 昨夜、おかじょうき川柳教室の宿題を投句しました。朝にむさし先生から「ひさしぶりですね」と返事がありました。9月は10日がつがる市出張、24日が中国旅行中で二度とも参加できなかったためです。川柳も相変わらず駄目ですが、とにかく川柳を作り、考えているとき、いつも岸柳さんのことを思い出すことにしているため、どんなに言われてもやめないつもりです。それだけ、岸柳さんはカバにとってインパクトの強い人でありました。
 実は、昨日、工藤内科クリニックから戻って、女房と一緒に中華そばを食べに行こうとしているときに電話がありました。女房の小学校時代からの親友のミヨちゃんがなくなったという知らせが娘さんから入ったのです。ふたりとも中学校だけ別のようですが、高校も一緒で、卒業して銀行と県庁に就職してからもずうっと仲良しで、この45年間、月に一度のランチをつづけてきた友だちです。彼女は先天性のコレステロールの高い持病があったようで、50歳過ぎてからは月に一度は血液を洗浄する治療を続けていたそうです。その後は、腎臓とか余病も併発し、県庁も定年前に退職して家事の傍ら治療をしていたようです。
 カバは、二年前に通風の治療で、工藤内科クリニックに通い、そこで糖尿病になりかかっていると診断され、現在も月に一度、糖尿病、通風、高血圧症の経過観察で通院していますが、そのクリニックで偶然、ミヨちゃんと会ったのでした。そのときは、すこし痩せてはいましたが、病人という感じではなく、静かに治療を続けているという感じでした。その後も、二度くらい、クリニックで会いましたが、去年の秋からは顔を合わすことはありませんでした。
 カバの女房も去年の三月にランチをして以降会っていないということで、調子がわるくなって出かけるのが苦しくなって、電話で話していたということでした。
 昨日、急の知らせを受ける前にも、すなわち一昨日の夜、女房はミヨちゃんの喪服をきた夢を見ていたので、気になっていたというのでした。昨日、カバは女房の運転手として、ミヨちゃんが眠る葬儀会場へ向かいました。ミヨちゃんの父君や娘さんの話では、ミヨちゃんは間質性肺炎を患っていたようで、今年に入ってからは酸素吸入を続けていたのだという。
 カバの女房のショックもひとかどではない。ミヨちゃんは63歳の若さなのだ。早すぎる死だ。会うときはいつも女房と2人だけだったという、友だちの少ないミヨちゃんはどんなに寂しい思いをして最後のときをむかえていたのだろうか、そんな思いに、カバも高校のころからミヨちゃんを知っているだけにいたましい気がする。
 今日はミヨちゃんの出棺の日だ。今日もカバは、女房の運転手を努める。

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