カバは6年前の県議会議員選挙で青森市選挙区の3人の候補を応援しました。鹿内博、古村一雄、奈良岡克也さんの3人でした。このときは、3人ともみごとに当選しました。最後に奈良岡さんの当選を確認したときは、ほんとうに嬉しく思ったものでした。
2年前の県議会議員選挙は、鹿内博さんは市長になっていましたし、奈良岡さんの陣営は5人の市議会議員がついているということで、大晦日に帰国したカバは本人から強い要請のあった古村さんの事務所を正月早々から手伝いました。東日本大震災と福島第一原発事故があり、その余波で大騒ぎしている中、結局、古村さんは再選したものの、奈良岡さんは次点にも及びませんでした。
カバより2歳若く、しかも将来を託されていた奈良岡さんの落選に大きなショックを受け、深く自責の念にかられたのでした。このときから、奈良岡さんに対するバッシングが、こともあろうに奈良岡さんを支持した陣営から起こりました。政治家としてふさわしくない、人格に難がある、兵への不満だけを語る敗軍の将だとか、あげたらきりのないほどの、悪口雑言、罵詈罵倒の数が彼とその家族を襲い、彼の神経を逆なでしていきました。
カバは選挙で力になれなかった奈良岡さんにすまない気がして、この2年間そのことをずうっと考えてきました。落選後、社民党県連の幹事長にさせられた奈良岡さんでしたが、悩みに悩んだ末、意を決して、社民党の幹事長の職を辞しました。それは、昨年末の衆議院選挙後でした。表向きは、衆院選挙敗退の責任をとったかたちでしたが、彼の県政復帰への強い意欲を周りが寄ってたかって粉々に砕いてしまった結果でした。彼を幹事長の職に据えておきながら、誰も彼の意見に耳を貸そうとしなかったどころか、逆に彼の言動を封じこめたのでした。
4年前、鹿内博さんは県議を辞職し、市長選挙に立候補しました。彼は県民クラブを古村さんに託し、残された古村さんは奈良岡さんと二人で新たな会派をつくり、社民党・県民クラブとして若い奈良岡さんもり立てたのでした。このときの古村さんは、最後は社民党復帰を真面目に考えてのことだったと思います。
鹿内市長に対しては本来、与党として対応して不思議でない社民党でしたが、是々非々といいながらも、いじめにも似た陰湿な対応が議会では見受けられました。ここでも、鹿内さんに対する個人的な非難、批判が目立ちました。カバはその時点で、奈良岡さんの再選に黄信号が灯っているのに気づいていましたが、まさかそこまで腐っているとは信じられませんでした。
4年前の市長選挙から続いている社民党幹部とそれを支持する労組の鹿内市長いじめは、2年前の県議選挙では奈良岡さんに引きずっていましたし、それが今回の市長選挙にもつながっていました。
カバは1990年以来、社民党党首の福島瑞穂さんのことを高く評価し、幹事長の又市征治さんを個人的にも尊敬する者ですが、鹿内市長が2期目の当選を果たした後の最初の6月定例議会を見るにつけ、この期に及んでもまだ、いじめ・足引っ張りを続けている社民党の4人の市会議員の議会対応には目を覆いたくなりました。
25日の市議会最終日の採決を傍聴して、泣きたくなる気持で議場を出ました。その日、奈良岡さんから電話がありました。そして26日夜、いつもの焼き鳥屋で二人で四度目の悔し涙を流し合ったあと、いつの日かの再起と健闘を誓い合い、最後に固い握手をして別れました。人間はどん底、地獄を見て、初めて強くたくましくなるのだと思いました。
今日は古村一雄さんの6月26日のブログを紹介します。
「 -青森市議会の社民党会派には、もう愛想が尽きた。-
護憲の党としての社民党には、なんとかして第3極をめざしてもらいたいと、今のいままでかすかな望みを託し、陰ながら支援しているつもりであった。
しかも、青森市議会における社民党は全国的にも貴重な6議席を占める党であり、青森県の社民党県連合を牽引する大きな存在である。
その党が、なぜここまで鹿内市政にことごとく抵抗しなければならないのか。
ひとつの党派に肩入れすることなく、あくまでも市民派を標榜してきた鹿内さんが、心中ひそかに期待し頼りにしてきた党は社民党なのだと思っている。
そんなことは私にはおくびにも出したことはないが、少なくとも私は勝手にそう信じて疑わない。
その証拠には、鹿内さんが市長に当選してすぐに、私に電話してきたあの言葉は今でも鮮明である。
「古村さん、海老名鉄芳さんが社民党会派に所属してもらえれば、社民党は市議会の第2会派になれる。そうなれば副議長が回ってくるかもしれない」、と。
社会党・社民党は少数の声を大切にし、声なき声を代弁する党であると信じて私は40年近く社会党・社民党に所属してきたし、合併にあたっては青森市の社民党を頼った。
それがあろうことか、合併の土壇場になって「合併に反対する理由が見当たらない」と言われたのである。
真面目な党員ではなかったけれども、それでも40年の党歴をもつ私には予想もできない通告であった。
社民党をとるか、浪岡をとるか。
私は迷わない、私は浪岡を選ぶ。
長期低落傾向に歯止めをかける方策もなく、むしろ拍車をかけて坂を転げ落ちる党に見切りをつけることができず、県議になってからも復党の機会をうかがってきたつもりである。
浪岡最後になるであろう出直し町長選の、あの立候補表明の光景はいまだ忘れることはない。
あのとき、予想だにしていなかった質問が新聞記者から飛んできた。
「社民党で出るんですか?」
そんなことは考えてもいなかった私は、廃業した家具屋の高い天井を見つめた。
その一瞬、後援会長でもあるわが友が、すかさず「辞めます、辞めさせます」と言い放った。
抗うことはできなかったが、党が衰退一方のときに私まで抜けなければならないのかとよぎった瞬間、一筋の涙がこぼれたのを感じた。
鹿内市長2期目のはじめての定例会での、なにが不満で、どう血迷ったかの社民党員市議の抵抗。
護憲の党・社民党の存在は貴重だと思いはいまもあるが、しかしもう見切りをつけた。
もうこの党に一滴の涙も流さない、もう愛想が尽きた。
来月4日公示の選挙では、くるくる豹変する候補者と手を結んだようであるが、金輪際この党に票を投じることはない。」

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