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2013年5月19日日曜日

リンゴの花と遙さよならパーティー

 今日は五所川原にリンゴの花を観に行き、そのあと遙のさよならパーティーです。
 8時20分に協同社の脇の八甲通りで小山内さんを待つこと10分、漸く、登場。若い青年がひとり立って待っていた。途中、ひとり同乗するというので、観光通りの松竹アムゼの向かいのコンビニで待つ。コンビニでコーヒー(150円)を買おうとして中に入ると、野球のユニフォーム姿の小野寺さんが居た。レクリエーションだといい、おにぎりを買っていた。
 佐藤さんというリンゴの樹のオーナーを乗せて、小山内さんが戻ってきたので、五所川原へ向け出発となった。観光道路を妙見から八役に入り、ABA前を空港道路へ進み、大谷の迂回路を通って、浪岡へ出て、バイパスから津軽道へ入り、最初のインターで下り、五所川原の広田方面へ向かい、梅田小学校の交差点を左に入り、道なりに進んで三叉路を右に進んで、少し行くと「りんご園」の案内表示があった。そこから少し進むと小山内さんが借りているリンゴ園があった。到着は9時半を少し過ぎていた。地主の農家のリンゴ園の左半分の約40本のリンゴの樹をオーナー制で登録し、秋の収穫まで面倒を見るというシステムのNPOの事業だった。今日は、オーナーが各自、自分の樹を確認して名入りの標識つける作業と、リンゴの花見会も兼ねていた。
 リンゴの花はまだでピンクの蕾のままだった。今年は、明らかに異常気象だ。桜は開花の前に葉がひらき、リンゴの開花も一週間程度遅れているという。あと二三日はかかるという。ほんの少しほころびた白い可憐な花をデジカメで撮るも、相変わらず故障のカメラのせいで、うまく撮れない。
 10時になったのを潮に、リンゴ園を辞す。佐藤さんも帰るので、ジャスコ付近まで送って行ってくれという。帰路、助手席の佐藤さんといろいろ話をした。青森市政の話、市役所立替の話、市議の報酬の話にまで及んだ。話題が豊富な人だった。名刺には有限会社代表取締役とあるが、現在は店をしめ、悠々自適とのこと。小山内さんが経営上のアドバイスをしていたらしい。山菜取りが趣味だとも話す57歳の柔らかでスマートな人だった。初めて会った人だが、旧知の人のように人懐っこいところのある、知的で不思議な人だった。
 サンディーの手前で佐藤さんを降ろし、カバは家へ直行することにした。時間は10時35分になっていた。カバの母校の甲田中学校では運動会が行われていた。前日は、古川中学校。来週は浪館小学校だ。金澤小学校通りから浪館通りに曲がると、ガソリンがなくなっていることに気づき、カクヒロのスタンドによることにした。プリウスのリッター23キロの燃費の話を佐藤さんとしたのを思い出しながら、5月に入って最初の給油をして、5500円(145円/リッター)をカードで払う。
 家に帰って着替えをして11時10分過ぎに出発。金澤先生のところへ行く途中、事務所に寄り、「遙」60号を持ち車へ置く。
 11時28分に着くと、金澤先生はすでに自宅前で立って待っていてくれた。段ボール箱に遙の創刊号から60号までと折句集が1冊入っていた。車に積み込み、金澤先生とさよならパーティーの会場のアラスカ会館へ向かった。車を駐車場へ入れて、段ボール箱を持って、1階のエントランスへ向かうと、ちょうど前田さんが到着したところだった。
 11時40分だったので、まだ工藤弘毅さんの顔は見えなかった。台車を持って待っていてくれるという約束の時間は11時55分だった。その予定より15分早く到着してしまったわけだ。そのまま地階に降り、本を会場の舞台脇に並べる。60冊と別冊の折句集を二つのテーブルに三段にわけて並べておいた。
 その次の仕事は受付の仕事だ。金澤先生が、次第と座席表などのしおりをつくってくれたので、出席者にしおりを渡して、座るテーブルの説明をすることになった。うっかり、工藤さんに本の搬入が終わったことを連絡していなかったので、工藤さんが3階から台車を借り、1階で待っていたのに気付かなかった。それだけ、12時前から忙しかった。
 1時きっかりに宴が始まり、乾杯は1時40分、中締めは3時55分。4時には終了と相成った。この日、出席予定者のなかで小野弁護士だけの姿がみえなかった。小野先生へショートメール、携帯へ電話したが、返事もなかった。欠席の同人の奈良岡克也さん、本間義悦さん、木村宏さんのことを思い、それとともに小野先生のことが気になり、当日出席した人と十分に語り合うことができないままに宴が終わってしまった。
 同じテーブルの田村幸康さん、西崎庄吉さんと少し話ができただけで、ノンアルコールだったし、結構食べ物がよかったので、空腹だけは満たされたものの、もっともっとたくさんの人と語り合いたかったが、テーブルスピーチが10人もあり、その人たちの話をきいているうちにも時間がどんどん過ぎていってしまった。それに、円卓に7人掛けというのは、隣の席と間が空きすぎて、とても膝を交えて話すという雰囲気ではなかったのも事実だった。
 もっともっと話したい人がたくさんいたのに、話せないまま、あっという間に時間が来て、終わってしまった。宴が終了してからの後始末のことも気になり、精神的にもすごく疲れていた。結局、会場と金澤先生の家を二度往復して、最後に金澤先生ご夫妻とお孫さんを送って、当日の任務はすべて終了し、家路へと向かったのだった。

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