遙最終号の16日締め切りが近づいている。遙の最後の小説は、「ねぶた師平蔵」か「人生の楽園」にするかで迷っている。
遙のことは、考えてみれば懐かしい気がする。2002年5月に創刊号が出ているので、この4月の60号で、ちょうど満11年だ。文団「遙」代表の金沢弁護士との出会いは、その20年くらい前の1982年頃に遡る。たしか、自治労の学習会で講師を頼んだのが最初だった。あれから30年以上も不肖の弟子(?)としてお付き合いいただいた。
1990年冬に金沢弁護士、石岡弁護士、鹿内市会議員(当時)ともに翌1991年2月の知事選挙を戦ったときのことを思い出す。あの頃はみな若かった。11月から2月の投票日まで、寝食を忘れて、核燃白紙撤回を説いて回った。当時、農協青年部長だった久保晴一さん(4月に鹿内さんとともに県議に当選し、その後倉石村村長)は青森にアパートを借り、選挙事務所につめた。その久保さんは、今年2月に61歳の若さで亡くなった。
いずれにしても、今年は転機の年だ。金沢弁護士は本業だけでなく、代表と編集人を兼ねた「遙」もついに終刊し、いろんな意味で第一線から退くという。石岡弁護士は、この22年間で、押しも押されもしない大弁護士になった。鹿内市議はそれから県議となり、いまは市長である。しかも4月14日には二期目の審判を受けることになる。このように金沢弁護士のまわりを固めた3人のなかで、カバだけがいまだに無能で、無聊をかこっている。この20年間の間、金沢弁護士はもちろんだが、石岡弁護士や鹿内市長には謂うに謂われないくらい世話になった。もっとも三人とも、とっくにカバに見切りをつけ、三下り半を突き付けているのは間違いがなく、知らなかったのはカバだけだ。
カバは2013年遙の終刊と金沢弁護士の引退とともに、石岡弁護士や鹿内市長とのかつての思い出やつきあいからも自立しなければならない。これから(2013年5月の遙の終刊パーティー以降)は静かにひっそりと暮らすことにしたい。
いまとなって、カバに残っているのは文学だけだ。4月14日が過ぎ、5月19日が来れば、カバの生き方はおのずと定まっていく。これからは分相応に、つましく生きていかねばならない。もちろんすることとできることは、文学の勉強と小説をかくことくらいしかできないのは分かっている。

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