13日の昼の便で東京へ出かけた。夜に原子力資料情報室で「飯舘村写真展実行委員会」に出席するためである。1月11日から14日まで新宿で開催された同展が、青森でも3月1日から3日まで開催されたのを報告することと、今後の対応を協議するためだった。
14日から16日までは妻も加わって、NYから妹の結婚式で熊本の実家にやってきた長男の嫁と孫を歓迎して東京で二泊ともに過ごすことにした。16日の土曜日には、次男一家と娘夫婦も加わった。妻はもう16日もう一泊して、青森に帰った。
カバはそれから17日午前零時の便でサンフランシスコへ向かった。同じ飛行機に王、原、槙原らの顔もあった。その三人は17日夕方のT&A球場でも一緒だった。残念なことにWBCでは準決勝でプエリトリコに負けた。敗因はいくつかあるが、負けは負けであった。18日も球場から歩いて20分弱のホテルに泊まり、19日の便で羽田に戻ることにした。羽田に着いたのは20日の11時だった。
14日から泊っていたホテルが満室だったので、向かいの東横インにチェックインした。こうして、東京へ4泊、サンフランシスコへ3泊して、昨日の昼前に青森に着いた。
帰るとまっていたのは、青森ペンクラブ会誌「北の邊」のエッセイの校正と、遙60号のゲラの校正であった。ゆっくり読んでいるうちに朝になってしまった。

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