9日、仙台で原子力防災に関し報告する用務があり朝七時に家を出て仙台に出かけた。新幹線に乗るため、バスで青森駅に行き、そこから奥羽線で新青森駅に向かった。冷気は感じたものの、穏やかな天気だった。
会議では東京から来た大学教授から、「青森は今日の午後から明日にかけて大荒れらしいよ」と脅かされ、すこし心配になったが、午後からの青森駅前広場での3・11集会のことより、5時半からの英明と壬生との会食に間に合うかが心配になった。
三時半の仙台発の新幹線は15分以上遅れて到着し、それが次の駅の盛岡では30分以上の遅れにひろがった。強風のためだという。盛岡駅周辺は吹雪いていた。結局、新青森駅には40分以上遅れ、6時過ぎに到着した。吹きさらしのプラットホームで震えながら、奥羽線に乗り継いで、約束の駅前の弁慶に到着したのは6時25分だった。駅前は暗くなっていたが、あの長春の冬を思い出させるほどの喉をさすほどの寒さだった。
店の奥で伝説の詩人佐々木英明と幻のロックシンガー古川壬生は日本酒を酌み交わして待っていてくれた。会話は、三回目の「英明と壬生のジョイントコンサート」の企画の話が中心だった。それにつけても、これまで何度も集まっては企みをこらした「一二三」が休業中なのを惜しむとともに母さん(ママ)のことが気になってしかたなかった。一二三食堂の母さんには、ほんとうによくしてもらったし、いくら飲んでも安くて、しかもパパさんのつくる料理には、肉鍋、卵焼き、焼き魚など酒のつまみになるものがたくさんあったからだ。それに、帰る間際のラーメンがうまかったし、カバのために隣の焼鳥屋から出前も嫌顔ひとつしないで頼んでくれた。
そして、昨日は月曜会だった。2時間弱、福島第1原発事故のこと、2月県議会のこと、市政のこと、鹿内市長のマニフェストⅡのこと、もちろん市長選挙の情勢など、8人で縷々話し合った。月曜会を終了後、場所を変えて、NPOの小山内さん、渡辺教授、山内先生、カバの4人で、「命あるかぎりロマンにみちた地域・互助・共生のまちづくりプロジェクト」を立ち上げる(カバは原子力防災と自然エネルギーの利活用で参画)ことの計画の話し合いがもたれた。それに成田先生にも同席してもらった。
成田先生とは、会合が終わって、綺羅でふたりきりで静かに飲んだ。日本酒をゆっくり飲むことができた。帰りは先生の奥様に送ってもらった。車の中で、成田先生から、一二三のママが亡くなったことを聞かされた。
一二三のママは癌で闘病中、母校の明の星の先生によって洗礼を受け、クリスチャンになったという。死期を悟ったママは自らの葬儀を教会でと希望したらしいが、結局、亡くなった後、2月の初め仏式で葬式が営まれたということだった。その葬儀の際、お坊さんがお経の最後に「アベマリア」と唱えたという話だった。なんとも哀しい話で、どんな病気で、どこに入院しているのか、見舞いにもいけいでいるうちに亡くなったことをひと月以上も知らないまま、しかも前日の10日、一二三の近くで、一二三のことを話しながら飲んだくれていたのが、なんとも胸がいたみ哀しかった。
カバは真夜中、怖ろしい夢をみて、朝をむかえた。長男と孫と三人で、土手から川を見ていて、孫を抱いた長男が、頭から真っ逆さまに転落し、孫とともに暗い川の底に消えた夢だった。

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