現代中国において、とくに中華人民共和国の建国の頃を思うにつけ、孔子の論語や儒教、とりわけ儒家の思想が重んじられなかったのが、論語を読んでみて分かったようなような気がした。
孔子の論語では、子の親を想う気持、子の親の死をしのびなく思う気持が孝であり、孝養につとめるべきことを説いている。とくに、第1篇「学而第一」の第11章と第4篇「里仁第四」の第20章において、繰り返して「三年父の道を改むるなきを孝と謂うべし」と述べている。「父親が死んでも、三年は喪に服し、父の行いを改めてはならない」と言っているからである。もちろん、服喪三年は限定的に言っているのではなく、それくらい細心の注意をはらって、親の行いの良い点や戒めを検証し、親が死んだからといって自分勝手なことをしていいということではないことはわかる。
魯迅も言っているのだが、革命、いや改革をしようというとき、親のしてきたこと、親の戒めが足かせになることが多いからだ。中国共産党が革命をなし、その国家観やイデオロギーを維持し、国のかじ取りを続けている限り、孔子や儒家のこうした考え方は相容れなかったのはわかる。
しかし、改革開放路線が一定程度軌道に乗りつつある現代中国において、そろそろ公衆道徳や社会秩序の維持には、孔子の教えが有効だとされる時期がきているのではないか、とも考えたりもしている。孔子の教えに反して、革命を為した人たちが祖父母になり、改革開放を推し進めた人たちが父母になっているのだから、もう一度、孔子の忠孝の教えが国家維持の役に立つはずであろうと思うからだ。

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