清の康熙帝勅撰の『全唐詩』九百巻によると、唐詩の総数は約四万九千首に及び、詩人数は二千九百余人にも達したということです。このなかで、最も多くの作品を残したのが白居易のほぼ三千首、第二位が杜甫で千四百首あまり、ついで李白の千首ほどとされています。実際には、杜甫も李白ももっとたくさんの詩を書いているはずです。
杜甫は偉大な詩人であり、一般には現実主義者であり、しかも社会派の詩人ともいわれています。大胆かつ巧みな表現を駆使して中国詩に新しい世界を創造した杜甫の詩の特徴は、漂泊の詩人の沈鬱な心情を吐露したところにあるといわれています。
あまりはっきりしませんが、比較的に余裕があったと思われる前半生はともかく、詩人杜甫の本領発揮といわれる後半生は、まさに貧窮と戦乱に攻めたてられて「西に東に」各地を転々とする生活を余儀なくされたものだといえます。
その意味では、乾元二年(759年)12月1日に同谷県を発し、成都へ向かう途中の「剣門」から始まる「蜀中詩選」はまさに蜀中の日々の想いを詩にこめた珠玉の文面であります。
ここに高校時代の漢文の学習以来の杜詩をひもとくにあたって、45年前の1968年夏に、竹内好先生から上京の誘いを受けたのを苦い思い出として想い起こし、今からでも遅くないと感じている今日この頃です。

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