昨夜は、大変だった。帰宅後、9時から作業開始で、まずおかじょうき川柳社の無人駅投句から始める。5句の投句だが、あたまに句が浮かばない。現代川柳の先鋭たちの句集を読むが、だいたい川柳の3要素、風刺、滑稽、軽味のある句が浮かんでこない。5・7・5の定型にはまる言葉が思いつかない。それでも、数ある先輩作者の句に倣い、どうにか5句をつくりあげ、10時45分にメール投句したと思いきや、届いてないとの編者の返信。これにおどろき、もう一度確かめたところ投句送信確認を怠っていた。結局、あわてて打ち直し、送信し終えたのが締切(午前零時)の35分過ぎであった。なんとか受信確認と投句確認をもらいホッと胸をなでおろした。
とんだアクシデントで、時間を1時間もロスしてしまった。次は、今日の仙台での研究会で報告する「福島飯舘村原発事故放射能汚染現地調査報告」の資料作成。研究会のメーンのレポーターでないため、口頭報告も止むを得ないと思っていたが、やはりそんなわけにもいかず、A4サイズ図表と写真、地図で4枚にまとめる。これに約1時間。
1時半に中国時代の教え子から日本の大学院へ提出する研究計画書の添削を依頼されていたものの督促のメールが入ったため、眠いのを我慢してそれにとりかかる。約2,000字の文章に朱を入れてやる。これに1時間。次に、彼の1級下の7月に卒業した教え子から日系企業へ就職する履歴書(志望動機書)の添削を頼まれていたのを思い出し、それも30分で仕上げる。二人へ送信し終えたら、なんと3時半を回っていた。
慌てて、布団を敷いて、横になる。7時に目が覚めたが、なかなか起き上がれない。40分に起き、仙台行の準備をしていたら、8時になっていた。髭そりもそこそこに車に載る。鞄の中には、16日が締切の川柳「陽の会」の投句用紙と辞書、それに川柳入門書を入れる。それから、遙の校正依頼の原稿も忘れなかった。往復の新幹線でやるつもりだった。それにしても、眠かった。8時28分発の新幹線はやてに乗るために、8時9分に家を出た。
新青森駅の南口駐車場に着いたのが、8時17分であった。余裕をもって、プラットフォームにあがり、自分の席に座り、すぐに鞄から校正刷りと川柳投句用紙を取りだした。帰りに川柳をやろうかと考えたが、先に済まそうと考え直し、自由詠の2句にとりかかるも、単語一つ浮かばない。結局、仙台に着くまでの1時間55分、コーヒーを1杯添乗販売員から買っただけで、悶々として2句完成させて仙台駅を降りる。
地下鉄を待つ間も、乗車してからも自分の作品の校正から始める。気が付いたら北仙台、いつもの駅と違うなと思っていたら乗り越しのランプ。ひと駅戻るはめに。こんなことは初めてだ。
昼食をはさんで、11時から3時までびっしり研究会は続いた。カバの報告は2時40分から2時55分までの15分で終えたが、質疑応答で3時5分。次回の日程をきめるまでで、3時10分を少し回っていた。慌てて、3時38分の新幹線に間に合うかどうかの瀬戸際。走って、北4丁目駅まで走る。電車が来たのが、3時20分、地下鉄仙台駅到着が3時25分。階段を走って登って、仙台駅に着いたのが、3時30分ちょうど。ゆっくりホームへあがったのは3時33分。3分ほど待って、新幹線が到着。
5時23分着までの1時間45分、遙のゲラを校正することに。創作2編、詩1篇、エッセイ1篇がカバの担当であった。すでに1回は目を通してあるので、もう一度全文をチェックする必要があった。
ここでも車内販売でコーヒーを注文しただけで、トイレにも行かずに校正に集中した。
新青森駅に降りたら、賑やかな外の様子。十市祭りを昨日からやっているのだ。正面口におりて祭りをのぞく。青森ねぶた、立ちネブタ、弘前ねぷたが並んでいた。汁焼きそばを食べた。意外においしかった。
車でまっすぐ事務所へいき、事務所からファックスで川柳を投句し、校正の残りをやり終えて、校正を金澤弁護士宅に届けて、家に戻ったら7時30分だった。
ここから9月16日のカバの作業が開始なのだ。

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