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2012年8月6日月曜日

福島県の飯舘村は人の住めるところではない

 カバは遙の57号の小説、折句、100字文の原稿を書き上げ、4日朝5時前にに家を出発した。長靴、マスク、ゴム手袋、ビニル合羽を持参した。八戸の尻内で、小笠原さんと一緒に合流することになっていた。
カバは山を回り、6時28分に小笠原さんの家に着いた。プリウスを駐車し、小笠原さんの車に乗り換え、一路、目的地の福島の飯舘村を目指した。
 二日間の調査研究の結果、飯館村は大変なことになっていることがわかった。すさまじい放射能に青森での通常のγ線の放射線測定値の百倍はおろか、千倍、いや一万倍のホットスポットがまだ存在するというのに、除染などできる状況ではなく、すなわち、飯舘村はとても人間が生活できる場所ではなくなっているということだった。
 つまり、カバが泊まった、農業研修センターの窓際のベッドの放射線量は、平均2μシーベルト/時で、ここで1年間生活すると17mシーベルトにも達することが分かった。今回の空間線量の測定で、最大値は浪江町と飯舘村長泥地区の境界の立ち入り禁止区域付近が13万μシーベルト/時であった。1年間で1千シーベルトも被曝する勘定で、とても長居は無用であった。
 飯舘村前田地区の行政区長の長谷川さんは、家に戻って農業をするなら、除染するとしても完全な除染が必要で、それが無理なのだから、行政区域ごと北海道か青森の広い土地を求めて移住するしかないと話していた。
 政府と村長らは、村民をモルモットにして、村民を放射線被曝の実験台にして死んでいってもらおうとしていると、研修センターの伊藤管理人は語った。
 浪江町と飯舘村の境にある赤宇木の放射能には驚いた。こんなところに長居は無用とカバたちは測定もそこそこに車内に閉じこもった。サイーベイメーターは1万μシーベルトを超えていた。
 もはや福島県は、人間の住むべきところではなくなっているように感じた。青森だって、いつ六ヶ所村の再処理工場で、使用済み燃料プールで大事故が起きないとは限らない。
 眠れない核時代の恐怖を飯舘村で過ごし、それが青森でも続いている。安寧な日々は訪れるのだろうか。

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