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2012年8月21日火曜日

忙しく、充実して、そして愉しい日々

  毎日、充実していて、あっというまに時間が経ってしまいます。16日、17日と「風の岬にとり残されて」を書きすすめた。原稿用紙はすでに40枚は超えたが、まだ山場にいたらない。主人公の真弓と伊知郎のところをいったり来たりだ。小説の中で、自分以外の人間を想像すると言うは楽しいこと。秘かな愉しみでもある。
 18日は午後から六ヶ所村の核燃料サイクル基地内を走る活断層と沖合の海底にあるという活断層の話を聞きに行こうと思っていたら、講師が急病で来れなくなったということで、別の先生に代役をたのんだということだった。その先生の話は6月に聞いたので、外出せず土曜日も家にいた。
 朝方、東京から電話で「県内の脱原発・脱核燃料サイクルの活動の歴史についての経過、総括、展望についての原稿がどうなったのか」と催促された。月曜日に送る、と返事したこともあり、この日から、小説の執筆を中断して、そっちの原稿書きに専念した。その間、三男から中古の車を買う契約をしたので見に行かないか、と誘い。子に弱いカバは、原稿書きを中断して、自動車のディーラーまでいく。帰ってくるまで約1時間。さっそく、また原稿書き。
 こっちの原稿も、半分書いてほったらかしていたもの。小説同様筆が重い。徹夜とも考えたが、やはり零時を過ぎると眠くなる。三時まではなんとかもったが、その後は睡魔に勝てず、蒲団を敷いて眠ることにした。
 19日は昼から川柳「陽の会」の例会。招かれ、投句した以上、出席しないわけにはいかない。12時まで原稿を書きつづけ、風呂に入り、髭をそって12時40分に自転車で出かけた。15人ほどの会は賑やかで、のびのびと、想い思いのことを話すので、とても気が楽であった。5時少し前に場所を駅前に移して、懇親会。こちらは12人。宴半ば、やおら紙を渡され、3分吟だという。二人ひと組で、席題(ひとり3句)を出し、それに投句し、都合、18句も即席で作らなければならない。ごまかしなしの一発勝負だ。日ごろの不勉強がすぐに出てします。それに自分以外の33句を選句しなければならない。悪戦苦闘の1時間だった。結局、講評も終わり、会場をあとにしたのは8時40分。家についたのが9時だった。
 帰宅してまた、福島原発事故と核燃サイクルとの関連での原稿にとりかかった。結局、寝たのは3時半だった。月曜日の早朝から、飯も食わず、ようやく昼に仕上げた。そして、添付ファイルでそうしんした。間に合ってよかったと思いきや、夜の月曜会のレポートができていなかった。
 月曜会の講師は藤川幸治君に依頼してあるが、毎月のレポートは約束事だから、端折るわけにもいかず、8月4日・5日の福島県飯舘村の汚染調査のことを中心にレポートをまとめ終わったのが4時半だった。事務所に行き、印刷して、会場のラプラスに着いたのが5時55分だった。
 新聞記者が見聞し、裏をとった六ヶ所核燃サイクルの取材メモのことを藤川君は話してくれた。12人の参加写がみな銘々発言して、8時半まででどうにか終わった後、藤川君と一緒に綺羅へ。帰宅は10時半を過ぎていた。
 21日から23日までの3日間で、核燃訴訟の準備書面の原稿をつくらないといけないし、「風の岬」も気になるしで、余裕はなかった。それに21日の夜は、反核燃市民ぐるーぷ「核燃いらない市民の会」の例会で、「福島原発事故調の報告をレポート」することになっていた。午前中は裁判の準備書面の準備をし、午後から「事故調レポート」にとりかかる。結局、何やかやと印刷も含めて終わったのが、6時10分風呂にも入らず蓮心寺まで車でとばした。
 蓮心寺をでて、懇親へ向かったのは、8時であった。市民の会は7人の侍だった。本間住職と風晴さんが帰り、5人で「隣の「一期一会」へ。結局、家へ帰ったのは9時で、近所の人たちが自衛隊の花火を道路に出て見上げていた。
 今のところ順調だが、あと残りは「北の街」の原稿と、裁判の準備書面だけだ。だいぶ、ノルマが少なくなって、解放感がひろがっている。24日の訪中までもうすぐだ。
 

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