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2012年7月1日日曜日

非消費生活者宣言を発す

カバは二月に北京に行った。天安門と王府井の中間のホテルに三日泊まった。通風の痛みからは解放されていたが、朝晩の冷え込みは厳しいなかで、あちこち歩き回った。歴史博物館、故宮博物館、それに魯迅博物館、北京動物園にも行った。北京大学、清華大学にも見て回った。王府井には毎日、通った。地下鉄が一番便利で、公営バスにも乗った。タクシーは高いし、なかなかつかまらない。地下鉄やバスが通っているところしか行かないから、不安を感じたこともなかったし、すこぶる安全だった。問題は、ものすごい数の若者が、仕事と住むところを求めてやってくることに対して、職場と住居を供給することができるかどうかにかかっている。
 中国では他の省から北京にやってきた若者が、結婚して都市戸籍を得て、北京に住みつくのは大変なことなのだ。学歴、コネ、家柄が問われる。少数民族出身の人や、コネがない人は、何事においても圧倒的に不利なのだ。
 こうしている間にも貧富の格差がひろがり、どんなに頭がよくても、正直に、道徳的に、しかも誠実にやれば、やるだけ逆に、成功をおさめて成り上がるのは無理になるなのだ。いまの中国の若者に、金以外に幸せはない。金があれば幸せを買えるのだ。中国にあるのは共産党の一党独裁による権力支配体制だけで、イデオロギー理念やドグマとしての共産主義も社会主義もなにもない。あるのは、生産手段である土地と資本を国家、すなわち共産党が握っているだけなような気がする。ただ、その権力維持機構はたくみに国家・国民を軍と公安の力を背景に張り巡らされている。いまの中国で共産党の一党独裁体制を切り崩すのは容易ならざることだと思う。経済危機、金融崩壊にあっても、この基盤は揺るぎそうもないのが、現実ではないだろうか。
 仮に、中国経済が崩壊しても、わずか3%の富裕層が貧乏になるだけで、国家や圧倒的多数のもともと貧乏な国民はなんともないのだから。日本人や欧州人に比べ、中国人は日常の耐乏生活には慣れているのだから。生活の質を落とさなくてもやっていけるのだ。北京を離れ、田舎に戻れば、一日、20元、一カ月で600元、すなわち日本円にして8000円もあれば、最低限暮らしていけるのだから。
 五月にニューヨークに行ってみて、つくづく感じたのは、この国では、老人になったら死ぬのが当たり前というのが徹底していることであった。老人になったら、公園にでも行って、自分に死期が訪れるのを待つのだ。国家が崩壊しかかっているアメリカは、これから富裕な人も貧乏な人も、どんどん死んでいくだろう。それを阻止するためには、戦争しかないのだ。侵略先をみつけなければどうにもならないのだ。しかし、その先が見えているのも事実だ。問題は、今の生活の質を落として、生き延びる覚悟ができているかどうか。アメリカ人はもう借金して消費する力もない。消費が美徳の時代は過ぎている。あとは、死ぬしかないのだ。自殺ではなく、生きられないのだ。
 チェルノブイリ原発事故でソ連が崩壊し、福島第1原発事故で日本が崩壊しつつあるのを気づいている人はまだ少ない。認めたくないのはわかるが、カバは自己防衛することにした。
 日本ではどんな田舎でも、月8000円では生きていけない。それはアメリカでもヨーロッパでもそうだろう。EUも含めて、これからの時代は、最低限いくらで生活していけるかが、生き延びることができるか否かの条件なのだ。その上で、あとは数が力なのだ。貧困の時代がきたとき、どんどん人が、アメリカ、欧州、そして日本と死んでいく。生き残るのは、アフリカの原住民と中国、それにインド人くらいだろう。先進資本主義国は、この金融危機に対処する仕方を間違っている。これからの時代は非消費の時代だ。非消費の時代に、消費税を上げて増税するなんてナンセンスそのものである。カバは家にソーラーを据えた。車もハイブリッドに替えた。なるべく車はつかわず、自転車で移動、行動する。家の冷房は使わない。トイレの水洗も、風呂もいっさいの無駄を排する。買い食いをやめる。レストラン、食道はいかない。最低の食料しか食べない。栄養失調ぎりぎりで生きる。つまり、飽食文化におさらばすればいいのだ。
もう、政府や自治体、それにマスコミはいっさい信用しないし、電力会社や独占企業にもお世話にならないようにして生きる。カバのような、貧乏人で田舎者が子や孫たちを守るには、みずから非消費生活を実践するしかないのだ。それを見せていくしかないのだ。

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