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2012年7月25日水曜日

福島原発から80キロ圏内は人が住めない。

  先日、『原発と拳銃』という小説を読みました。主人公が高校三年生の夏休み、部活の先輩に頼まれて、アルバイトで福島第1原発の定期検査中の原子炉前の修繕修理の仕事をしたことが原因で、一緒にバイトした友人が大学一年のとき、白血病で死亡し、主人公もまた3.11の福島原発事故後、癌を発症して余命幾ばくもない身のひとです。そして、父親の残した形見の拳銃でもって抗議の自殺をするという物語です。主人公の妻は、チェルノブイリ原発事故の影響の強かった秋田で被曝したことがもとで乳癌にかかり、四年前に癌が転移して死亡しているという状況です。原発の恐ろしさを描いているのですが、もう少し、別の角度から書いてほしかったと思います。
  東京の新聞のなかでは、大震災と津波による2万人余の犠牲者の追悼が先決であり、脱原発一辺倒でなく、エネルギー源としてはまだまだ原発に依存しなければならぬ、と主張している人もいるのです。一方、福島県には、事故によって放射能に汚染され、土地や集落そのものを失いかけている多くの人たちが何十万人にもいます。20年から30年後にあの事故で内部被曝した人たちが続々と百万人にも人たちが白血病か、癌死するような気がしてなりません。いまだに格納容器や原子炉内部の様子の詳細は放射能が強く、調査すらできないのです。もちろん、現在も放射能を排出し続けているのです。メルトダウンは認めていますが、メルトスルーしていないと誰が確証をもっていえるのでしょうか。福島第一原発事故は、第1号炉から4号炉はもとより、立地自治体や周辺はおろか、福島県の大半どころか、日本全体に汚染が広がる事態となっており、収束どころか日本人を恐怖に陥れているのは間違いがありません。いまや、日本と日本人は、原発という新しい核時代の恐怖のモルモットとして世界中の注視の的となっているです。北京やニューヨークに行って、つくづくそう感じました。いまや日本人は、内では一国の宰相とその政権から侮辱され、外では世界中から侮蔑の目を向けられているのです。
 いまや、誰一人として、原子炉内部に入って、原子炉や格納容器内部の状況をつぶさに調べ、今後の対策を講じられるひとはおりません。何が原因で事故が起こったのかの正しい究明と今後の対策は絶対に必要なのにもかかわらず、それが現況なのです。それがかなわぬ現状ならば、再稼働などもってのほかで、すべての原発の運転停止を継続させ、すくなくとも稼働後30年以上の原発をただちに廃炉にし、徹底的に原子炉内部や配管、格納容器の損傷具合を検査検証すべきです。それが、チェルノブイリ原発事故以上の大事故を引き起こし、いまだに収束させることのできない日本の責務ではないでしょうか。
 自分たちの目先の利害だけを考え、既得権のように3.11以前の生活を維持しようという人は、そうした事実から目を背け、事故がこれから襲うさらなる大きな悲劇への想像力を放棄しています。しかも、原発がなくなれば、電気料金の値上げに直結し、国民生活に悪影響を及ぼすだとか、電気のエネルギーがなければ大変なことになる、そんなことを理由に、順次、ありもしない安全神話をもちだして、再稼働を容認すべきだとの主張を繰り返している人も政府をはじめたくさんいます。
 要するに、エネルギーや電力の安定供給には原発が必要であるとの論拠をいまだに唱えている人が結構いるということです。いかに、核時代の想像力が欠如しているノー天気な人が多いかということじゃないでしょうか。悲しくなってきます。

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