去年の10月7日に仙台時代の同期会に参加した。場所は震災と原発事故による復興いまだの福島の土湯温泉だった。3.11の震災で青葉山の校舎が壊滅的な被害を受けた、同じ学科の学部と大学院の同期会で、一昨年はカバが中国にいたために参加できず、去年は二年ぶりの参加だった。その同期会には22人参加した。はじめは、大学院の同期会として発足したらしいが、院に残らず学部卒だけの同期生も加わるようになった。
カバはその大学に院から入ったので、学部だけの同期生とは顔をあわすのは初めてであった。宴会でひとりずつ近況報告をした。61歳と62歳がほとんどで、大学教授として残った2人だけが現職で、あとはみな製鉄会社や金属関係の製造会社をいったんリタイヤして、再就職している者たちだった。22人のうち、専攻と関係ない職についているのが4人だった。歯医者と牧師もいた。不動産屋もいた。それにカバである。参加した22人のうち他大学から院への入学者はカバ一人だった。
宴会で21人の顔を見ながら話をきいているうちにある感慨にふけっていた。それは43年前の入学試験のことだった。43年前、カバも宴席の21人と一緒にその大学に受験したのだ。21人は合格し、カバは不合格だった。ということは、その場にいた22人の中で、カバが一番成績が悪かったということだった。
いままでいろんな集団のいろんな会合に出たが、その集団の中で自分が一番劣っていると実感したことはなかった。不思議な感じだった。現在はともかく、43年前、この21人は自分より確実に優れていたのだと思うと一種の感動をおぼえた。21人のひとりひとりを見ながら、43年前はどんな受験生だったのかと想像するだけで楽しかった。自分が優れていると慢心するより、自分が劣っていた自省し、さらに努力を誓えることは嬉しいことに違いなかった。
43年経ってみると、少しの恥ずかしさと、少しの気おくれを感じたが、卑屈になるほどではなかった。21人の中には、留年した者もいれば、院の試験に落ちた者もいた。カバは入学試験では確かにビリであったか、4年後の院の試験ではビリではなかった。大学、大学院、助手、助教授、教授と絵に描いたように順調に教授になった者と大学と院で浪人を経験し、苦労を重ねて教授になった者の二人が東西の同期会の幹事をやっていた。前者の教授は、他大学出身のカバをいつも気づかってくれる。
震災で大学の研究室は使えなくなり、震災と原発事故の風評被害で温泉の11あったホテルが4軒しか営業していないという事実、を受けて、これからの日本のために何が必要で、何をなすべきか、冷静に考えて行動しなければならない、とつくづく思った。

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