カバは静かに黙って小説書きに専念することをやめにした。北朝鮮の金正日総書記が死んだ。世界はめまぐるしく動いている。福島原発事故の処理に最終的に400兆円かかったとする。これを40年ですべて収束するとして負担するとすれば、毎年10兆円は必要となる。これを税金で賄うとすれば、1億人の納税者には毎年10万円の増税となる。
東京電力、電事連、日本政府が原発を推進してきたつけが、事故による放射能の除去のために国民への増税として帰ってくるのだ。原発に反対し、原子力の危険性を訴えた人はもちろん、国策だからとしかたなく原発を容認した人や、原発のない35の都府県民を含め、原発で作った電気を使わない70%の国民でさえ、これから40年間毎年10万円ずつ余計に税金を払わなければならないのだ。この他に、消費税が5%から10%に引き上げになろうとしているのだ。こののち福島原発の事故処理に最短で40年要するとしても、それまで日本が持つかどうか怪しいものだ。消費税だって、40年後には20%から25%になっているかもしれない。
こんな世の中に誰がしたんだろうか。1986年のチェルノブイリ原発事故が引き金になってソ連や東欧社会主義国の崩壊によって、中国と北朝鮮、それにキューバと中南米の一部の国を除く世界は社会主義体制という選択肢を失い、アメリカ一極集中の市場経済万能へとひた走ってきた。その日本における象徴は、原発・核燃料サイクル積極推進の政策と一方では日本社会党の解体消滅と政治の保守化であった。
日本は1990年代から物言わぬ、怒りを忘れた国民になってしまった。資本の代弁者と化した労働組合は、賃下げはおろか、自らの首切り・リストラにあってもストライキすらできない存在になった。弱者である国民は、政治に期待するどころか、まるで喜劇でもみるように傍観者として自らに降りかかった悲劇をあざ笑うかのようである。
これからは環境社会民主主義の時代だと思う。民主主義のルールに則って、地球環境、人類と自然・生物にとって悪影響を及ぼすものを徹底的に排除するシステムを作るべきなのだ。資本主義社会ではやはり企業・団体が営利を追求し、利潤を求める。そこに必ず汚職・腐敗が生ずる。官僚も同じだ。権力をもてば、そこに群がる腐敗構造は同じだ。行政や自治体業務における官と民とのベストミックスが必要だ。なんでも、民でいいというわけにはいかない。しかし、官の側でも権力や既得権を温存し、業務に対する適正化措置を講ずることをしなければ腐敗が進むのは当然だ。
官の仕事を民間の非営利団体へ移すのを検討するべきだと思う。その場合、民間企業だと大企業の子会社が受注しないように注意が必要だ。なぜなら、利潤追求のあまり、職員の給与と住民サービスが切り捨てられる恐れがあるからだ。
年金支給年齢との関連で公務員は安易に定年延長をすべきではないと思う。公務の仕事を積極的に非営利団体に委ねるべきだと思うからだ。定年になった公務員や企業職員を非営利団体で新たに雇用すべきだと思う。賃金は、週40時間で月額20万円を上限に、30時間で15万円、20時間で10万円、10時間で5万円を基本とすべきだと思う。公務員の経験と民間のノウハウを生かした団体として、そうした非営利団体が市町村自治体の固有事務の一部を担うシステムが必要となってきているのではないか。そうすることによって、自治体に働く正規職員にも緊張感が生まれ、相乗効果が期待できるのではないか。
国民が等しく一生懸命働き、必要最低限の賃金を受け取るシステムの構築が求められている。雇用を確立し、失業のない就労機会の増設に努め、特定の人に利益や利潤が集中しないように平準化がどうしても必要である。その程度の社会民主主義でいいのではないか。
カバは年金生活をはじめてみて、人生の中で一番幸せを感じている。資本主義社会での労働は苦役であったとつくづく思う。どんなに有意義な仕事であれ、それが自分の使命だとはいえ、自分の労働力(かけがえのない生命の時間)を売って、生きる自由を失っていることに変わりはない。いまは、寝るのも、起きるのも自由である。眠くなったら眠り、起きたくなったら起きればいいのだ。始業時間も終業時間もない。なんといっても、誰にも拘束されないからだ。せいぜい夫婦で年収200万円もあれば十分である。もちろん、これには住宅費、医療費は含まれていない。
しかし、この200万円の収入が難しいのだ。60歳まで賃金労働者を続けてきたカバでさえ、年金は月額10万円だ。女房のパートの収入を入れても200万円にはならない。カバはいまだに年収800万円の生活から抜け切れていないので、まだ毎年、100万円弱を退職金から取り崩してやっと生活しているのだ。でも、この退職金の残りもなくなれば、200万円でやれなくはないという自信のようなものまで生まれた。付き合いや、趣味を一切やめればいいのだ。
カバの小学校や中学校の友だちと会うと、老後の生活のことがいつも話題になる。福島原発事故や震災復興のからみでいろんなところに影響が出てきている。第一、景気が良くない。だいぶ落ち着いてはきたが、何でも自粛ムードが依然続いているのだ。旅行とか、外食もしなくなっている。とくに、自営業や民間中小の企業で働いていた友だちほど厳しい生活を余儀なくされている。カバが決して最低ではないのだ。定年(の年齢)になっても、皆必死に働いている。それでも、時間をさいているわりには、収入になっていないのだ。
みんな、怒ってはいる。なのに、何故か苛ついてはいないのだ。カバはそこが不思議だ。カバがいちばん過激なのだ。なんとか働かなくても生きていける幸せを享受しているカバでさえ、我慢ならないくらい怒っているのに、彼らは哀しい顔こそ見せても、世間の無常を嘆くでもなく、善知鳥神社の池の草亀のように首をすくめじっとしているのだ。
カバは草亀を起こし、池から這い出させ、ゆっくり、のっそり、歩み始めるまで、地団駄を踏み、尻尾を打ち鳴らし、大口を開けて吠え続けることにした。

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