7年半前に亡くなったカバの母の誕生日は、8月13日だった。13年前、長男がフレズノに発つまでは、いつのころからか毎年、7人で三内にある先祖代々の墓にお参りしてから、堤の千成寿司に行って、母の誕生会をやるのが習わしであった。それからは、子どもたちが家を離れるにつれ、6人、5人、4人と減っていき、高校入試に失敗してから墓参りを拒否するようになった三男を家に残し、最後はカバ夫婦と母の三人となった。
8年前の8月13日はカバは女房と高三の三男を説得しての墓参りのあと、、入院中の母の元へ、ケーキを買って直接見舞いに行った。パジャマが大きすぎるくらいに痩せた母は、墓の掃除も済ませてきたというと力なく「ありがとう」と笑った。それまでは、墓参りの時の草取りは母の仕事だった。
高校を卒業すると相次いで上京し、いまは東京と横浜にいる娘と次男は、ねぶたの期間に帰省することはあっても、それが盆まで延びることはなかった。そんなわけで、8月13日の墓参りは、母が亡くなり、三男も上京してからはカバは女房と二人きりで墓参りすることになった。
そして、3年前の夏、就職浪人中の三男が、東京の夏の暑さに耐えきれず帰郷してからというもの、ここ3年の8月13日の墓参りは三人ですることになった。
今年の8月13日は朝からうだるような暑さであった。カバはその前の日の12日、三内霊園へ墓の草取りに行った。友人の柴谷君から、2002年の12月に亡くなった友人の米倉君の墓参りに誘われたので、ついでに自分の家の草取りもしておいたのだった。米倉君には世話になったはず、といつも気にかけているカバの女房が用意した花を米倉君の墓前に手向けたとき、カバは自分が4人の子を育てた不思議さと同じ仙台で青春の一時期を過ごした彼の若かりし頃の面影をすぐ近くの高架を走る新幹線はやぶさの緑の車体にだぶらせたのだった。
13日の午前9時40分すぎに家をでて、三内墓地の仏舎利塔の下の車線に車を停車できたのは10時25分であった。霊園につづくいつもと違う道を下りてみた。1時間はかかっていたはずが45分で済んだのは気持ちがよかった。
今年は新幹線が走る音を聞きながら母の墓前にカバは一家のこの一年の報告をした。昨年は、長男の結婚を報告し、カバが単身で中国の満州に行ってくることを告げたのだった。今年はカバが年末に帰国したことをまず知らせ、ニューヨークの長男のところの懐妊(10月出産予定)と長女の結婚(式は9月25日)、次男の会社もどうにか持ち直しつつあり、孫も幼稚園に入園したこと、それに母が一番心配していた三男の就職が決まり4月から働いていることを報告し、両手を合わせて向こう一年も家族を見守ってくれることを願った。
三人一緒に墓地から戻ったカバは、夕方に母の仏壇を拝みに来た女房の弟の一家と小宴となった。日本酒を1升5合も飲んだ。愉しいひとときだった。こうして、今年も暑い8月13日は終わった。

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