カバの家にはほんのわずかだが河馬の臍ほどの庭がある。母が生きていたころは、少し手入れしていたので草花も雪融けとともに咲いたものだった。母が床に伏したのは八年前、それから庭は荒れ放題だった。毎年、雪が降ると踏まれ、屋根から落ちた氷柱と雪に埋まり、融けた雪の中から覗いた樹木の枝は折れ、根元はかわいそうなくらいねじ曲がっていた。この家を建てて引っ越してから三十年で初めて去年の八月、それも中国に往く前にとせっつかれて、庭の雑草刈りをした。そして、折れた枝を切り、根元から朽ちていた木を抜いた。茫々の庭は、病み上がりの坊主のように地肌をみせた。
カバは去年の暮れに満洲から逃げるようにして帰国した。中国で新節を過ごすくらいなら、日本で新年を迎えたかった。そして、年があらたまり、生まれて初めて、出勤しなくてもいい毎日をおくれるようになって、庭を眺める余裕ができている自分に気付いた。二月になると雪が融け始め、中旬のある朝、外に出てみると、庭の雪はすっかり消えてなくなっていた。そうこうするうちに三月となり、庭の木々も漸く緑の新芽をのばしはじめ、一番早く咲く乙女椿の蕾が膨らみだした三月十一日に大地震は起こった。
福島第一原発事故の詳細を分析し、その原因を調べてみたが、やはり日本人の戦後の倫理観の問題にいきつくと思った。原子の、ミクロの世界での核分裂の連鎖反応を人間の技術の力で制御できるという過信が、地震と津波という天災と重なっただけでなく、人間が使う機械や材料も必ず老朽化し朽ちていくということを認識しなければならないと気付かされた。
この二週間、来る日も来る日も原発事故の状況を追い、問題を探求することにつとめてきた。この間に庭の石楠花がみごとに紫色の花を爛漫と咲かせ、ついでピンクの薔薇がすっくと伸びた枝の先に大きな紅色の花をつけてカバの目を喜ばせた。そして、先週からはつぶらな白い花の中央部だけが淡い桃色の花弁を花束のように集めたナナカマドがいっぱいに咲き誇っている。
あいにくの雨でナナカマドには可哀そうだが、とうとう原稿は書き終えることができた。この満足感は何とも言えない気持ちだった。風呂を焚き、ゆっくりと湯に浸かった。これで、あしたから新しいことに着手できる幸せをかみしめて、今日一日に感謝した。

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